ウォーキングの合間の無駄口


松前道のマップ表示開始

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

今日(7月7日19時~)から、松前道のルートマップ表示を開始しました。また、宿場マップ表示も開始しました。沼宮内宿から一戸宿まで32kmあり、山道を通過するのでgpsデータの件数がmax500を越えてしまい、表示プログラムの修正が必要となってしまい、gpsデータづくりの上に表示プログラムの修正もやった次第です。しかも、場当たり的な修正をすると、あとあとでわからなくなるのでちゃんとした拡張仕様のプログラムにしたため、もともとのデータの構成も変更することとなり、作業工数が大分くってしまった次第です。修正ではよくあることですが、バグでマップがまったく表示しなくなり、その潰しでまる2日かかってしまいました。原因はカウンタ一つのイニシャライズ忘れでした。ということでめでたくルートマップ表示が可能となりました。京都から龍飛岬までの街道のルートが表示されますので暇があったらご覧ください。また、宿場マップ表示も復活しました。以前の宿場マップ表示はgoogle-mapsV2 を使っていたのですが、googleがv2 のサービスをやめ、v3に変更してしまったためpinマーカの呼び出し方があっていないことが原因でした。pinマーカの呼び出し方を訂正して従来どおり各宿場にpinマーカが立つようになりました。ということで、マップ表示の件は一件落着となりました。しかし、google-mapsのミスも見つかったのでそのうち訂正が必要かも。ではまた。

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FTPでハマッてしまいました

投稿者: youjirou, カテゴリー: 未分類

松前道のGPSデータを作成しましたので、サーバのデータベースに登録するためにPCからFTPで送ろうとしたらエラーが発生。前回(半年前ぐらい)まではスイスイ送信できていたのに、と思いながら修復を開始。ログインまではOKだった、のでPC側のFFFTPが古いからなのかと新しい版数のものにアップデート。しかしエラー。サーバ側のvsftpdを最新版にアップデート。しかしエラー。PASVモードに設定変更。これでOKとなった。以前はPASVモードにしなくても通信できていたのに・・・・、PASVモードが必須なのかと理解した。で、もう一台のサーバをPASVモードに設定してみたら、再びエラー。エー、何が悪いんだ~。ということでググッてみたら、pam_service_name=vsftpd という呪文の追加が必要だったという記事があった。OKになったサーバを見るとpam_serviceの呪文があったので、エラーが出ているサーバにもその文を追加するとFTP通信がOKになった。いつからかvsftpd.confにはpam_service_name=vsftpdの呪文が必要に変わっていたようだ。以前はpam_serviceの呪文も、PASVモードの設定もなく、スイスイ通信ができていたのは何だったのだ?と腹がたったが、文句をいえる立場にないことを自覚。というわけで約2週間を費やして、FTP通信を復活させた次第です。LINUXはメンテがたいへんだ、けど面白い。ではまた。

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松前街道のGPSデータづくりで気づいたこと

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

今気づいたのですが、ブログにある桜の木が復活して葉が散っていました。緑の葉が散るというのは自然現象としてはないはずですのでチョットおかしい。いや、そこではなくて、この前まで桜の木のソフトは停止していたのに、何もしないでいたら生き返っていたので驚いています。提供元で停止していることに気づき、どこかを修正して復活させてくれたのでしょうけど、うれしいかぎりです。何か手を入れねばとおもいつつも放置していたので・・・・。ところで、表題の件ですか、街道のgpsデータを作っているHPではグーグル地図だけではなく、国土地理院の地図も表示できるので、グーグルマップにない山道や消失した道を探すときに地理院の地図をみるとそこにはルートが書いてあったりするわけで、なんか便利なきがします。古いデータが残っているという意味で大切な資料です。衛星写真と組合せてみると昔の道がなんとなくわかるようで、現地にいって確認したくなります。国土地理院のマップ表示はどのようにしたら利用可能なのか、気になっているところです。なお、GPSデータは蓬田宿までできたところです。まだまだです。ではまた。

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松前道の調査

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

ただいま松前道のGPSデータつくりをしています。先日沼宮内宿から一戸宿のルートのGPSデータをつくっていたのですが、32kmととてつもなくながく、また山道なのでくねくねしていて膨大なデータとなり500件を越えてしまったので、私のつくった街道ルート表示システムが対応できるか見直しが必要となってしまっています。オーバフローするようならシステムの変更となるのでチョットめんどうなことになるので回避したいと思っていますが、・・・・・・。しかし、32kmとなると昔は一日ががりの距離であり、山と谷を越える街道一の悪路なので、途中の間の宿で泊まったとおもわれます。小繋集落か、小鳥谷集落がそれに当たるのだが、ガイドブックにはなんの説明もない。小繋の長楽寺は本陣になったと現地の案内板にはあったが、正式な宿場ではなかったようだ。集落の大きさからいったら小鳥谷の方が現在は大きいようですが。話かずれてしまった。私がいいたかったことは、川底一里塚の手前のルートがまったくはっきりしないことです。GPSデータをつくっていて、小繋川に沿って左側に街道があったようなのですが、とりわけ国道のトンネルの手前からトンネルの先の区間のルートがわからず、私的に想像で川沿いのルートを引いてしまいました。なので、現場を再調査したほうがいいかなと不安になっているところです。そのほか、一関の手前などには開拓されたルートがあるのでそこも歩いて見たいとも思っていますが、資金が必要だし・・・・。ということで、苦慮しています。ではまた。

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太宰の『津軽』について

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

今日、先日語ったように、太宰が小説『津軽』で語っていたことなどを入れて、HPの記事を一部修正しました。蟹田宿、平舘宿、今別宿、三厩宿、龍飛岬の各HPです。今回再度小説を読んで、太宰は三厩宿の義経渡海伝説を「恥ずかしい」と恥じていたことをしりました。今の龍馬に乗って渡海する伝説をしったらさらに恥じ入るのではと思われます。ともあれ、往時の津軽のことを知る手だてとして太宰の『津軽』はなかなかいい資料ではないかと思いました。津軽を歩く方にお薦めです。ではまた。

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太宰の『津軽』について

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

太宰の小説「津軽」を読み終えたのでチョット紹介しておきたい。津軽に行く前にできれば読んでおいた方がよかったかなと思う。津軽藩と南部藩との対立の起こりは、津軽の藩祖大浦氏が南部藩の支族であったことにあるらしいことを紹介していて「ああ、そうなのか」と理解した。また、義経の渡海の状況について江戸時代の東遊記の抜粋で、渡るべき順風がないので所持していた観音像を岩の上において祈ったらたちまち風がふいて松前にわたったこと、波うち際の岩には穴が三つあって義経の馬を繋いだところで三馬屋と称するようになった、などの紹介がある。翁も龍馬も出てこないで、ただ風が吹いて船でわたったというシンプルな話だったのだ。龍馬が出てくる現在の話をきいたら太宰もびっくりすると思う。誰が話を盛ったのだと太宰もいうのではないかと思う。その他、今別の本覚寺での鯛の話や、蟹田の蟹、龍飛まで歩いたのに袋小路以外に表現がない酒盛りの話など、がある。HPの文章も見直して太宰の話をチョット入れてみるかと思っている次第です。どうなることやら、お楽しみに。ではまた。

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太宰治の『津軽』について

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

蟹田宿の所で太宰の友人の Nさん宅のことについて紹介しましたが、そこで津軽地方のことを書いている太宰の小説『津軽』を読んでみることにしました。文庫本は角川から出版されていたので古本屋で探したが見つかりませんでした。諦めかけたが、最近例の芥川賞をとった又吉先生が太宰を愛読しているとかで、もしかして再出版しているかもと、本屋で文庫本を探してみたら、ビンゴ。なんと新潮社が太宰のものをズラ~と再出版していたのです。しかも又吉先生愛読の写真付きで。なので新品の『津軽』を手に入れて読んでいる次第です。太宰は1944年5月に小山書店の依頼で故郷の津軽を3週間かけて旅し、津軽風土記を書いたとのことです。その当時はまだ鉄道はなく、青森からバスで蟹田にいき、友人のNさん宅に宿泊してSさんやMさんなどが登場し、蟹や酒で歓待されたようです。近くの観瀾山にも登ってそこでも酒盛りをしたとのことが書いてありました。その後三厩へ行くことになったが、天気が悪くて船が出ず、Nさんと歩いて行ったことなどが載っている。なお、蟹田はその名のとおり蟹がとれるところで、松葉ガニかとおもったらそうではなく毛ガニのような足の短い蟹がとれていたらしい。私の旅館の食事ではそのようなものは出なかったように思えるが・・・・・。蟹田のEという旅館でも宴会を開いているがその旅館はその後火災で消失したのだが、場所は私が泊まった中村旅館のあたりなのだ。そんなことは知らなかったので旅館に聞いてみたくなったりもしています。ということで、誰にも聞けない津軽の事情を知るためにはなかなか参考になる本だと思えました。なので、HPの記述もチョット変更したほうがいいかなとも思っている次第です。ではまた。

 

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松前道のウオーキングの追加

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

昨年11月に歩いた青森宿から三厩宿までと龍飛岬のHPを追加しました。またアルバムも追加されていますので興味がありましたらご覧ください。ところで三厩宿では義経の渡海伝説のみを売り物にしているようですが、龍馬に乗ってというのは明治になってからの創作のようで、江戸時代までは三厩湊から渡海したというだけだったようで、話を盛りすぎているのではといささかゲンナリです。三厩という地名は義経と関係なく、先に三つの岩窟があったからなのでしょうが、そこら辺のつながりはどうなんでしょうか、中尊寺からここまでくるだけでも大変な逃避行なのにどうしたんだろう・・・・・、考えると夜も眠れなくなりますので考えないようにしています。ということでとりあえずHPの追加完了報告まで。ではまた。

 

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新年(2016年)のご挨拶

投稿者: youjirou, カテゴリー: その他, ホームページ

新年あけましておめでとうございます。年末にシステムのアップデートなどをしたからか、アルバムデータベースがエラーを起こすようになり、ついにダウンしてしまいました。なのでアクセス不可のメッセージ出ていた次第です。突然のことなので、復旧に手間取ってしまいました。11月の松前道最後のウオーキングの写真を登録はできたのですが、動作確認中に応答しなくなってしまった次第で、応急措置をとりました。そろそろサーバーを取り替える時期なのかもしれませんね。なお、青森宿から龍飛岬までのHPを近々アップすべく準備中です。ではまた、よろしくお願いします。

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お地蔵さまと百万遍供養塔

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

青森宿から北へ街道を歩くと、路傍に小さなお堂があり、着飾ったお地蔵さまが安置され、となりに百万遍供養塔もある。この供養塔はお堂の中だったり、外だったりするが、とにかくよく登場してくるので驚くばかりだった。これまでの街道では見慣れない光景なので、この地方の人は信心深いのかなと思っていた。しかし、お地蔵さまは分かるが、百万遍供養塔というのがわからなかった。なので後から調べてみると、「百万遍供養塔は一般には念仏塔といい、 集落の人々が講を作り、 「なむあみだぶつ」を唱えて、全員の念仏が百万回に達したのを 記念して供養塔が建てられたものです」との解説があった。村の入り口に設置 されたとの解説もあったので数がおおいのも納得がいった。神仏に集落を守ってもらいたいという村人の気持ちが現れているものだったのだ。そういえば宿場の外れによく大きなお地蔵さまが設置されていたことを思いでした。また、この地方では浄土真宗が広まっていたことを示しているのだとわかった。ところで、どこのお地蔵さまも着飾っているが、私的には素朴な石の地蔵さまのほうが味があるのではと思うのだが、それは余計なことか。ではまた。

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飛び回る小鳥たち