02:白沢宿
・人口369人、家数71軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠13軒
・会津の上杉を討つ徳川勢先陣の鬼怒川渡河に協力した功績から宿駅が許された

 白沢---阿久津大橋---上阿久津---勝山公園前---氏家 5.7km
 2007年5月3日




 
 白沢宿に向かって進んで行くと右手に白沢地蔵尊が現れる。そこには、先の稚児坂の由来と伊沢家景が乳飲み子の亡骸をこの地に地蔵堂と石塔を建てて葬ったこと、そして村人がその地蔵尊を守ってきたことが記されている。鎌倉時代に家族を連れて東北に行くのはいろいろな困難があったのだなと、昔の人の苦労が偲ばれる。

 
 緩やかな下り坂を進んでいくとT字路となり、左手に曲がると白沢宿の宿場に入る。曲がる手前に脇本陣だった福田家があったのだが今は無くなっている。また、左に曲がるとその先に本陣と屋号が掛かった宇加地家が現れる。両家はその昔、徳川家康が上杉景勝を討つために進軍した時、先陣の諸将達の鬼怒川渡りに協力し氏家まで兵を進めた功績が認められ、関が原の戦後に問屋を命ぜられ、宿の構成が許されると白沢村の宇加地家が本陣となり、上岡本村の福田家は脇本陣となったとのことである。また道路の両側に用水路があるが、その昔は道の中央を流れていたとのことである。

 
 宿場内の家はどの家も現代風で街道筋の面影を残している建物は何も無い。堺屋とか清水屋とかの屋号が復元されている。清水屋はたぶん旅籠の清水屋と思われるのだが、何を生業としていたのかも添え書きがあるとより往時が偲ばれていいのではと思った。さらに宿場を進んでいくと、左手に明星院というお寺が現れる。ここも改築されており、綺麗ではあるが風情が感じられなかった。なお、白沢は鮎とゴボウが当時の名物だったそうだが、今それを食わせるような店は無くなっている。

 
 本陣跡から300m位進むと宿場は終わり、右手に曲がる。小川を越え現代的な郵便局を左手に見て暫く歩くと西鬼怒川橋に出る。当初ここが鬼怒川かと思い、ここから川沿いに上に進むのかと辺りを見渡していた。しかし道が更に続いていることから勘違いしていることに気づき、橋を渡って進んでいった。すると左手にバスの折り返し所があり、その横に開田之碑と福録寿のあるこの地は一里塚跡と記されている。ガイドブックでは鬼怒川沿いの三本杉の所が一里塚だと述べているのだが・・・。その後、国立公文書館天保国絵図下野国を見ると西鬼怒川と鬼怒川との間の西鬼怒川よりに一里塚が記されているのでこのバス停位置が正しいようだ。

 
 街道を進んでいくとやがて鬼怒川の土手でT字路となり、左手に進む。穏やかな春の陽を浴び、田園風景を眺めつつ土手道を歩くのは実に楽しい。右手の林が現れて来たところで、渡し場跡を見つける為に林を抜けて川端の道に出る。鬼怒川が大きな川であることを確認し、橋のある上流に向かって暫く歩くと川端に棒杭でできた鬼怒川の渡し跡が現れる。ここから舟で渡っていたのかと、川岸を見たがその面影は何も無い。

 
 上流に向かって暫く歩き橋の袂にでて阿久津大橋を渡る。しかしこの橋は恐怖の歩道なしの橋だ。車と対面通行になるよう右側の橋の隅を車を気にしながら歩かなければならない。大概のドライバーは気づいて避けてくれるがヒヤヒヤものだ。橋の中央から川面を見るとそれ程大きな川でもないように見えるが昔はしばしば氾濫したとのことだ。橋を渡って先程の渡し跡の対岸に行ってみたがこちら側の渡し跡は見つからなかった。 街道は橋の先で左に折れ、暫く進むと郵便局の横に船玉神社の標識が現れる。鉄道が出来る前まで、会津地方の米や周辺の荷駄がここから舟で下総国へと輸送され、江戸まで通じていたのでこの阿久津河岸はたいそう繁昌していたとのことであり、その守護神がこの船魂神社であった。だが、やや回り道なのどパスして進むことにする。

 
 街道を進んでいくと右手の林の中に将軍地蔵堂が現れる。日光山に修行にいった僧達が修験僧のそうめん責め遭ったときに、この地蔵が現れて助けたことから「そうめん地蔵」とも呼ばれるようになったとのことである。

 
 その先に進むと右手に月星関東流通センターが現れる。往時の街道はここから右斜めに通じていたのだが、今は敷地内となり消失している。また、平成13年にはこのセンターの裏で街道が復活していたそうだが、今はそれも立ち入り禁止となり、勝山城跡から右に入りスーバー・ベイシアの手前で左に折れることになる。右手の元街道であった箇所は金網で塞ぎ無残にも埋めたてられていた。・・・・残念!

 
 街道は水田の中を進んでいく。やがて信号のない阿久津バイパスに出るので車の途切れるのを待って横断し、次に東北本線を越えて進んでいく。その先のT字路を左に折れるのだが、その右手には道標と馬頭観世音碑がある。道標には正面に「右、江戸道」、左側に「左、水戸・かさま・下たて・下つま」と彫ってあるのがかろうじて判読できる。ここから先に進むと氏家宿だ。


(01宇都宮宿) (03氏家宿)

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