07:鍋掛宿
・人口346人、家数68軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠23軒
・1600年、上杉征討の徳川軍の先鋒、水谷勝俊らが鍋掛に陣したとの記録がある
鍋掛---越堀 0.8km
2007年10月7日
十字路から400m位進むと左手に芭蕉の句碑の案内が現れる。通路があるのでそのまま左の広場に入ると句碑があった。「野をよこに馬ひきむけよほとゝぎす」と刻まれている。芭蕉は『奥の細道』に「館代より馬にて送らる。口付のおのこ、短冊得させよと乞。やさしき事を望はべるものかな」と書いて、この句を記している。馬の手綱をとる馬子の願いに答えて作り与えた句であるとの解説が横に付いている。なお、そこには鍋掛宿と越堀宿とを描いた分間延絵図も表示されている。 |
句碑をデジカメに納めてから辺りを見回すと、ここは神社の境内であることに気づき、鳥居を抜け出てから加茂神社を撮ることになってしまった。横入りを進めるかのような案内板につられてしまった。神社を後にして先に進むと左手に珍しいなまこ壁の消防小屋が現れる。 |
その先に進むとY字路となるが街道は右手に進む。家並みもまばらで街道筋の面影はまったく無くなっている。しかし道は昔通りで、突き当たりを左に折れて進む。ガイドブックによるならば、この左角に菊地本陣があったとのことだが民家はなく梅畑となっている。 |
宿内を先に進むと車道に出でて、宿はここで終わりとなる。が、車道を横断し、その先に進むと右手の林の中に道祖神が幾つもある。周りの木々が大きくなり過ぎて、木々の間に道祖神が放置されているかのようだ。その横に道らしきところがあるが、途中から草が延び放題となっている。多分、川岸に下りていく昔の街道だろうと思うのだが、その前に「進入禁止」と書かれたロープがあるので立ち止まってしまった。往時は川岸に下りて橋で那珂川を渡っていたのだが、今はその橋もなく川岸へ下りる人も無いようだ。数年前には下りられたようのなだが・・・・。 |
那珂川の川岸に下りることを諦めて車道に戻り、歩道付きの昭明橋を渡って進む。橋の上から那珂川を見ると川面がだいぶ下にあり、谷になっていることが分かる。上流を眺めるとエメラルドグリーンの川面が綺麗だ。しかしその昔は上流に殺生石があるので「水に毒気あり」との言い伝えがあったとのことだ。この橋を渡り切るとその先は越堀宿だ。 |