09:猿ヶ京
・三国街道という昔の街道跡があるのを初め知った
・法師温泉の先の川越えは冒険的だった
・三国峠から初めて見た越後地方は雪を被り幻想的だった

 猿ヶ京---吹路---法師温泉---三国峠---苗場---三国小前 20.5km
 2000年5月22日





 2000年5月22日、天気は快晴だ。コープ・シャトー猿ヶ京のホテルを後にして暫く進んでいくと、昔の宿場・相俣宿に入る。右手には赤や青の屋根との取り合わせがスイス地方のような錯覚を起こす不思議な景色見える。また、田植えが済んだ水田が広がり、その奥には雪を被った谷川岳が見える。こんな高地でも田圃があるのかと驚く。その先に進むと新緑に包まれた相生橋が現れる。左手の赤谷湖を眺めつつ坂道を昇る。25年程前に会社の旅行で猿ヶ京温泉に来たことが懐かしく思い出される。余り見るものもなく、ハイキングで時間をつぶした印象が今でも記憶に残っている。


 関所跡の先で国道は右にカーブするが、カーブした先で三叉路を左手に進み国道と分かれる。そこには三国街道の道標がある。暫く車の少ない道を歩けるのが嬉しい。いこいの湯の先で右折して再び国道に合流する。国道を進んでいくと新三国大橋を渡る。


 国道を暫く進んでいくと吹路でY字路となる。国道は右手に進むが、車の少ない左手の法師温泉ルートを通って三国峠に向かうことにする。ときたま車が通る程度なので歩きにはもってこいの道だ。がしかし、天気が良すぎて暑い。永井宿という宿場にはよらずに進み、法師沢沿いに登っていくと、やがて法師温泉の建物がゲートのように両側に立つ地点を通過し、河原に出る。丁度昼飯タイムなので、適当な木陰を探して腰を下ろし、ホテルで作ってもらった弁当を食べる。小川には綺麗な水が流れているので、気兼ねなく水が使える絶好の休憩地だ。


 昼食と休憩を済ませ、法師温泉を後にして橋を渡りハイキングコースを進む。草が生い茂る中を進んでいくと再び川を渡る地点に出る。だが、先程の地点とはうって変わって、川幅3m位のそこには橋もなく、しかも水は増水しているようで、先人が作った飛び石が水没しているのだ。困ったあげくに、周りにある大きな石を見つけてきてはその飛び石の周りに投げ入れ、少し高くしたが水の上に顔を出すまでにはいたらなかった。そこで覚悟を決めて、手前の飛び石を目掛けて一歩目を飛び、すぐさまその先の石に二歩目で飛び移った。靴は水に浸かったが浸水は免れた。やれやれだ。普段なら多分チョロチョロ程度の水で橋を架けるまでもない水量で、飛び石で十分だったのだろうが、昨日の豪雨で増水したらしく、タイミングが悪かったのだ。しかし、なんとかクリアできた。予期せぬ冒険がこの旅の醍醐味なのだ、と独りで満足していた。その先は沢づたいに進み、急勾配の坂を登るとやがて国道にでる。


 国道の先には三国トンネルが口を開けていたが、トンネル前で右手に進み三国峠を目指して進む。急勾配の道で低木しか繁っていないため木陰などなく、さらに天気が良いので日差しがきつい。道の横にはチョロチョロ流れる小川があったので、途中で喉を潤して登っていく。はあはあ息をきらせて峠に着くと、ハイキングで来ていた夫婦づれの方が休んでいた。峠には右手にお堂がありその先には三国山が聳えている。左手にはまだ雪が積もっていた。夫婦づれの方に写真をとってもらって一休み。峠の標識には、この峠を越えて関東と行き来した江戸時代の著名人などが書かれてた。峠から初めてみる越後の山々はまだ雪をかぶっていて神秘的だ。


 峠を後にすると、いよいよ越後路だと気がはやる。越後側の道は整備されていて歩き易かった。途中、水が山肌から流れ出ている箇所があったのでペットボトルに詰めることができて助かった。約1km程進むと再び国道と合流する。大型トラックが唸りをあげて坂道を登っていくのを聞きながら、一本調子の下り坂を下りていく。暫く進むと左手に大きなリゾートマンションが現れる。その先は浅貝スキー場、苗場スキー場とスキー場が続く。ここが有名な苗場スキー場なのかと町中をキョロキョロしながら進む。しかし、今はスキーシーズンではないので客もなくひっそりしている。浅貝はその昔は峠越えの客が泊まった宿場だった所だが街道筋の面影はどこにも無かった。浅貝という地名も苗場という地名にかき消されそうだ。ただ公衆トイレは何故か古風さを感じる建物だった。


 ところで、予定では苗場の先の二居宿あたりまで歩く予定だったが、足のまめが痛みだしとても進めない状態になってきた。足の痛みを堪えつつ、トラックの音に怯えながら苗場の先のトンネルを通過すると三国小学校前のバス亭が現れたのでここで断念することにする。バスで越後湯沢に出て新幹線で帰途につく。次回はあの小学校前から出発だ。


(08沼田) (10三国小前)

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