ウォーキングの合間の無駄口
11月9日、15時30分、三本木原(十和田)まで踏破しました。7日、小鳥谷から歩き始め、一戸、二戸(福岡)、8日、金田一、三戸、9日、五戸、伝法時、藤島、三本木原、と歩きました。朝の最低気温が3度とかといっていたので冬の身支度で出かけましたが、行動中はそれほどの寒さではなく、毛糸の帽子を使うことはありませんでした。しかし、このごろは日も短く、月も出ない時節なので16時30分をすぎると暗くなってしまいます。しかも山の中を抜けていないのに暗くなってしまうのですから、まったく難儀しました。そんなときに威力を発揮したのが電子地図帳、旅ナビでした。現在位置と周りを同時に表示してくれるので周りが見えなくても歩いている道が目的の道であることが確認できて大助かりでした。昼間ならこんなもの必要ないのですが、いざという時に役立ちました。ということで、この旅のトピックスをおいおい報告します。ではまた。
9月14日、松前道に盛岡宿、渋民宿、沼宮内宿のHPを追加しました。トップの地図も近日中に修正する予定です。夏休み中にコツコツと編集していたもので、実際にHPを作ってみると、なぜここで写真をとっておかなかったんだ思うことが何度が出てきます。小繋に向かうよの坂の鬱蒼とした雰囲気を示す写真がないことや、川底一里塚とは反対側への消失した道の様子とか、後悔しています。ケチらずにとらねばと反省です。しかし、盛岡宿をすぎると宿場と宿場との距離がながくなり、いろいろ紹介するとHPが長くなってしまうので気がかりです。とはいえ、今回は地元の方しか知らないおもしろい話が所々に登場してきますので是非よんでみてください。ではまた。
そういえば沼宮内でのハプニングとしてキセルを疑われたことについて語ったが、もう一つ大きなハプニングがあったのでそれを紹介しておきたい。当日、午前中に旅館笹相に予約をとっておいた。16時30分ごろに沼宮内駅を通過して旅館にたどり着いた。入り口の扉をあけ「すいません」と声をかける、が応答がない。何回も声をかけてみるが誰も出てこない。次に靴を脱いで上がり、ベルを鳴らしてみる。これもだめ。予約してあるのにな~と思いながら、少し待ってみることにする。泊まっているお客さんが出てきたので訪ねると、用事があって出かけたという。しばらくすると別のお客さんがきた。その方はまだ予約していないという。二人で玄関の脇のソファで待つ。1時間後、後から来たお客さんは二戸の宿がとれたのでそちらに行くと出ていった。2時間たっても誰もいない。いい加減に疲れたので、広間に上がり、お茶を入れて持参のお菓子を食べ、テレビをみる。3時間がたち、暗くなってきた。どうなっているんだとぼやいているとやっと、女将さんが帰って来た。誰もいないことに女将さんは驚いて平謝り。その後の様子では旦那さんに頼んでいったのに、遊びに出かけてしまったらしいのだ。早くついてゆっくりお風呂にとの思いはつえさり、無駄な時間の過ごし方になってしまった。それにしても3時間も待たせられるとは、とんだ思い出だった。ではまた。
6月22日、御堂駅まで何とか歩きとおし、駅で一休みしてから登り電車で沼宮内駅まで帰ることにしていた。駅員のいない無人駅となった待合室には、乗り過ごしてしまったので登りで帰るのだといっている40~50才代のおばさんが一人いるだけだった。やがて電車がきたので乗り口のマークがあるところから車内にのりこんだ。が、入口のとなりに乗車券をとる機械があったが、「なんだろう、乗車券の機械のようだが・・・・」と無視していた。後から乗った例のおばさんはその機械からきっちり乗車券をとっていた。沼宮内駅につき、近くのドアからおりて改札にいくと、駅員から「どこからのりましたか」と質問され、「御堂から」と答えると、「乗車券をもっていないんですか」と疑いはじめ、「それを証明するものがないのでは」とか、「みんな御堂からというんですよ」と完全にキセルをしているかのような扱いをうけた。頭にきた私は「御堂まで歩いていき、沼宮内駅前の旅館に泊まるので電車でもどってきたんだ」といったら、「じゃあ、認めましょう」といい、一駅間の料金ですんだ。乗車券をとらないとこういうことになるのかと、はじめて銀河鉄道の乗り方をしった次第でした。ワンマンバスで乗車券をとることは知っているが、ワンマン電車で乗車券制になっているのは初めての体験でした。そこで、例のおばさんを思い出し、そういえば先に改札を通過したおばさんは乗車券をだして御堂からとかいっていたな~と、あのおばさんにいっしょに御堂から乗ったと証明してもらえばよかったなと思い出した。・・・・むむむ、しかし、確かあのおばさんは乗り越して御堂からもどるといっていたのであり、あのおばさんこそキセルをしていたんだとわかった・・・・。そういうわけで、とにかく銀河鉄道は乗車券制のワンマン電車であることを肝に命じておこう。ではまた。
前回の続きを、その後すぐに書くつもりだったが、いつのまにか1月ちかくたってしまった。で、続きとは次の日に歩いた渋民宿から御堂までのことになるのだが・・・・・。渋民には以前に家内と一緒にいったことがあるので、石川啄木の記念館や学校跡がなどがあることはしっていた。そして小さな喫茶店がある程度でスーパーなどはなく、バス待ちの時間つぶしと空腹に苦労したことを覚えている。今回ネットのマップで見たらイオンとあったのであのイオンかな~と半信半疑でいきました。啄木の記念館から少し先にいくと、大きなスーパーが現れたので、あのイオンでした。渋民村もかわったな~と感じました。昔の村のイメージから脱却した、新しい渋民だなと思った次第です。そして民宿でのおやつを買おうとしてイオンに入ったのですがいろいろ目移りして、結局ミスドのドーナツを買ってしまいました。都会生活から抜けられない自分だなと確認した次第です。ではまた。
6月21日から23日まで、盛岡宿、渋民宿、沼宮内宿、小鳥谷(一戸宿の手前)を歩きました。天気にも恵まれてチョット降られただけでした。それもあって、自販機には助けられました。一日で5、6本は飲んだのではないでしょうか。今の国道は木陰を作る樹木はまったく一掃されているのでガンガン日光があたりてくてく旅は難儀します。で一昨年から日焼け止めを塗って日焼けを塞いでいます。染みが気になる歳なので。さて今回は盛岡での市内見物について報告しておきます。最初に駅から4.5km位離れたところにある坂上田村麻呂が造った志波城跡にバスでいったのですが、このバスは着くと引き返してしまい、見学してさて帰ろうとするとバスは2時間後となりました。タクシーで帰ろうとしたら2000円ぐらいといわれ、高いと思いましたが、今日の時間を無駄にしないため、しかたなくタクシーで帰りました。バス会社とタクシー 会社とが共謀しているかのような運営だなと感じたしだいです。あとひとつ、奥州街道を歩くことを目的にして市内を歩き、盛岡宿をでる惣門跡を通過するてまえで、安倍氏の最後となった厨川柵の戦いの跡である夕顔瀬橋に向かってしまったため、惣門跡を確認するのを忘れてしまいました。というか億劫になって省略してしまった次第です。数百m余計に歩くのをケチって失敗したなと後悔しているところです。あと、岩手の語源である三ツ石神社と啄木の新婚の家も見るのを忘れてしまいました。盛岡宿はいろいろ見るものが多くて、18時までに渋民宿まで歩かねばならない私にとってはてくてく旅泣かせの宿でした。続きはまた。
今日、4/30、ついに松前道のページをアップしました。仙台宿から盛岡宿までのものです。盛岡は宿場にたどり着いたところで終わっていますけど。なにわともあれ、やっと日の目を見たということですかね。2010年5月から歩き始めたのですが、2011年にはあの東日本大震災と原発事故が発生し、ウォーキングどこではなくなってしまいました。が、2013年から東北地方に観光に出かけることも復興の一助になるかと再会した次第です。HPの言語も最新のHTML5に変更しUTF8でかきましたが、他HPはSJISなのでうっかり修正しようものなら、修正の修正をするはめになって、ゴタゴタと手間のかかる事態になっています。いつかは統一したいのですが当面はみる人にはそれは分からないので保留というところです。盛岡宿から先はこれから歩く予定です。ということで、仙台から盛岡の様子をぜひ見てみてください。アテルイや貞任、清衡、義経が登場した世界です。ではまた。
マップ上のポイントのGPSデータを取得できるサイトを見つけて、ただいまデータを作成中です。一点、一点コピペしていくので面倒です。が、どうやらこれしかないので、このサイトを利用させてもらっています。グーグルがクリック点のGPSデータをログするサービスルーチンをやめてしまったのが原因らしいです。幾つものサイトがだめになっていましたので多分おおもとに変更があったようだなと判断し、楽なデータ作成をあきらめた次第です。私の造ったソフトも元はといえばグーグルのマップサービスを利用しているので文句をいわずに受け入れるしかないかと思っています。こういうGPSデータを手分けして造れるといいんですがね。ということで、日光道中、奥州道中、仙台道、松前道、とGPSデータつくりは当分つづきそうです。5月連休が近づいてきています。どうしようか、悩んでいます。ではまた。
街道を指定すると各宿場の位置にマーカがでるマップと、そこで宿場をクリックすると当該の宿場から次の宿場までの詳細ルートを表示するマップのソフトを造りました。htmlとphpとjavascriptとを組み合わせて展開するわけですが、なかなか面白いマップができました。しかし、公開できない事情があります。宿場から宿場までのルートデータ、つまりGPSデータが東海道分しかできていないのです。しかも、以前東海道のGPSデータを作成したときに使ったサイトの地図が最近おかしくて、以前と同じようにGPSデータのリストが取得できないのです。プログラムが一応完成して使おうという段階でこのような問題がおこるとは、ついてないのひとことです。いずれにしろ、日光道中、その他のGPSデータをどうやって入手=作成するかが問題です。GPSデータを作成するためのプログラムを自力で作成しるしかないのでしょうか。ということで、思案中です。ではまた。
長らく課題だった鳴海宿と宮宿のHPの修正をした。去年10月4日に宮宿を再訪問して、調査・確認した結果からHPを修正しました。一番大きな修正は、鳴海宿側から宮宿への入口ルートを変えたことです。従来はガイドブックにあったルートで、国道左手をすすみ、東海道線の踏み切りの先でY字路の左手を行き、熱田橋を渡って進み、名鉄ガード下を通過し、一里塚跡を右手に見て宮宿に入るというルートでしたが、これは違っているようです。そもそも新堀川もそこの熱田橋も明治の運河工事で新たに作られたルートなのです。往時にはそれらはなく、今の国道のルートで鳴海側から進み、国道沿いの名鉄ガード下あたりで左折し一里塚を通過して宮宿に入っていったようです。そして姥堂の手前にあった精進川の裁断橋を渡り白本陣前を通過していき、左折して赤本陣前を進み七里の渡しへと向かったようです。ガイドブックには宮宿のことがほとんど記述がなく七里の渡しばかりだったので、七里の渡し場が宮宿かと思ってしました。が、いろいろHPを調査するとそれが間違いだとわかったので恥じ入り、再度探訪してHPを修正したしだいです。東海道の踏破HPをみると私と同じ間違いをしているようですので、皆さん、ご注意願います。