ウォーキングの合間の無駄口
ついに東海道、日光道中、そして奥州道中に街道マップ表示ボタンを追加しました。だいぶ前に追加する作業をしていることを報告しましたが、なかなか工数がくう作業でだいぶ遅れてしまいました。何しろ、GPSデータもマップ表示プログラムも、そしてHPの改造も一人でやるのでなかなか大変なわけです。なので仙台道と松前道はGPSデータができていないので、次のステップでやる予定です。GPSデータは手作りなので結構手間がかかります。東海道も結構こまめにデータを作ったつもりでしたが今表示してみると結構荒くてチョッと微調整が必要だなと思っています。暇があったらおいおいと修正する予定です。細部の修正点が必要な点もありますが、一応公開しましたので見てみてください。ではまた。
街道を指定すると各宿場の位置にマーカがでるマップと、そこで宿場をクリックすると当該の宿場から次の宿場までの詳細ルートを表示するマップのソフトを造りました。htmlとphpとjavascriptとを組み合わせて展開するわけですが、なかなか面白いマップができました。しかし、公開できない事情があります。宿場から宿場までのルートデータ、つまりGPSデータが東海道分しかできていないのです。しかも、以前東海道のGPSデータを作成したときに使ったサイトの地図が最近おかしくて、以前と同じようにGPSデータのリストが取得できないのです。プログラムが一応完成して使おうという段階でこのような問題がおこるとは、ついてないのひとことです。いずれにしろ、日光道中、その他のGPSデータをどうやって入手=作成するかが問題です。GPSデータを作成するためのプログラムを自力で作成しるしかないのでしょうか。ということで、思案中です。ではまた。
長らく課題だった鳴海宿と宮宿のHPの修正をした。去年10月4日に宮宿を再訪問して、調査・確認した結果からHPを修正しました。一番大きな修正は、鳴海宿側から宮宿への入口ルートを変えたことです。従来はガイドブックにあったルートで、国道左手をすすみ、東海道線の踏み切りの先でY字路の左手を行き、熱田橋を渡って進み、名鉄ガード下を通過し、一里塚跡を右手に見て宮宿に入るというルートでしたが、これは違っているようです。そもそも新堀川もそこの熱田橋も明治の運河工事で新たに作られたルートなのです。往時にはそれらはなく、今の国道のルートで鳴海側から進み、国道沿いの名鉄ガード下あたりで左折し一里塚を通過して宮宿に入っていったようです。そして姥堂の手前にあった精進川の裁断橋を渡り白本陣前を通過していき、左折して赤本陣前を進み七里の渡しへと向かったようです。ガイドブックには宮宿のことがほとんど記述がなく七里の渡しばかりだったので、七里の渡し場が宮宿かと思ってしました。が、いろいろHPを調査するとそれが間違いだとわかったので恥じ入り、再度探訪してHPを修正したしだいです。東海道の踏破HPをみると私と同じ間違いをしているようですので、皆さん、ご注意願います。
宮宿を訪れて再探索してきました
投稿者: youjirou, カテゴリー: 東海道
先日、宮宿を訪れて再探索してきました。鳴海宿から宮宿に入るルートを
いろいろ調べてみると、川の手前で左折して橋を渡ると分間延絵図にしめ
されていましたが、この川は今ある新堀川ではなく、精進川という川であ
ること、しかも、その川は新堀川が設置されたことにより明治43年に埋
め立てられてしまっており、現在は跡形もなく消失していました。この精
進川は姥堂の東側を街道を分断するように流れていて、そこに架かってい
た橋がかの裁断橋だったということです。この橋は立派な橋で、名古屋の
北にある堀尾跡公園に復元された裁断橋と姥堂があるそうです。その他、
本陣が2箇所あって、姥堂に近いところにあったのが白本陣、ほうろく
地蔵に近いところにあったのが赤本陣といわれていたそうです。しかし
白本陣跡ははっきりした案内板がないので宮宿のHPを参考にしてこの
あたりだろうと当たりをつけてカメラに納めた次第です。赤本陣は蓬莱
陣屋という料亭のところだったとのことです。なので、今のHPを改版
しなければとおもっています。なかなか奥が深い宮宿だな~と思った次
第です。ではまた。
東海道の本陣跡の記述の追加をやっと終えました。先日の暴風雨のおかげで会社が半日で終えたので、家にかえって引きこもりながらせっせとHPの修正を進めました。その甲斐あって、どうにか修正完となりました。HPの修正と同時に、アルバムボタンで呼び出される拡大フォトも追加しました。ということで、暇があったら藤枝宿、島田宿、金谷宿、掛川宿、見付宿、白須賀宿、岡崎宿、四日市宿、庄野宿、亀山宿をチエックしてみてください。なお、四日市宿の清水本陣跡の確定は「札ノ辻の北側」にあったとのことなので、その北の角の駐車場を清水本陣跡としたのだが笹井屋に聞いて確定することを忘れたのでやや不安がある。 念のためあとで確認しておこうと思う。これで東海道の全宿場の本陣跡をフォローしたので、次はいよいよ松前道だ。ではまた。
遅々として進んでいません。仕事も年度末となると、いろいろと多忙となり一層手が回らなくなってしまいました。そこにPCのセキュリティソフトのバージョンアップをしたら今度はブログ書き込みが接続不可となり、その対策に手間取るという不幸続きです。現在はセキュリティソフトの問題をなんとかクリアしたので、HPもクリアするよう気合をいれて取りかかろうという段階です。なお、てくてく旅も今年は取り組もうと考えています。水沢宿からてくてく旅を開始する訳ですが、名所・旧跡が地震で倒壊しているのかと思うとやや残念な感じがします。しかし東北地方の復興支援になればとわずかですが旅費を費やしてこようかと思っています。ではまた。
藤枝宿、島田宿、金谷宿、掛川宿、見付宿、白須賀宿、岡崎宿、四日市宿、庄野
宿、亀山宿のHPの記述に、本陣後を追加しょうと準備しています。各宿場のHPに
つかう小型写真はつくりましたが、肝心の文章ができておりません。なかなか時
間がとれなくておくれています。
成人の日の連休を利用して東海道の本陣リストの不明な宿場を再度訪問してきました。ほとんどの宿場では本陣跡を示す石碑やタイル、案内板が立っていました。私が歩いた2002、3年のときには何もなかったのが嘘のように感じられたほどでした。ただし、四日市宿はまるっきり何もなく、以前と変わっていませんでした。しかし、今度は下調べをしていったので、バッチシ本陣跡をカメラに納めてきました。四日市宿の中心はあの長餅屋の200mほど先の十字路あたりだったそうで、右手の角に本陣があったようですが、今は駐車場となっており、案内板もないので単なる空き地としか映らないようすでした。戦時中の空襲ですべて焼けてしまい、今は単なる住宅外として復活しているようです。唯一の遺跡が長餅の笹井屋さんのようです。その他、亀山宿、庄野宿、白須賀宿などなど不明な本陣をとってきましたので見てください。肝心のHPそのものの修正はちょっと遅れています。ではまた。
新年あけましておめでとうございます。昨年は震災、津波、原発爆発と誰も予想もしない多難な年でしたが今年はどんな年になるのでしょうか。私的には東海道の本陣リストの改版を完了させることと松前道のHPの作成を進めたいと思っております。昨年12月にパソコンをHP製Omni220に変えました。まだまだなじめない感じで、HP作成アプリがうまく動くのかまだ試していませんか。まあなんとかなるでしょう。なお、てくてく旅も水沢宿から先に進めたいともおもっていますがどうなることやら。ということで、ではまた。
以前にもいいましたが、東海道の不明本陣跡の追跡調査を8月1日に行いました。沼津宿、原宿、吉原宿、興津宿、江尻宿、府中宿を探訪したわけですが、天気が良くて結構厳しかったです。しかし、行ったかいがありまして、当てのないまま向かった江尻宿では、現地で和菓子屋さんに入って聞くと、意外とあっさり案内板や本陣跡にたどりつくことが出来ました。最初に現地を尋ねたころには無かった案内板が整備されているのには驚きました。どの宿場跡でも結構そのごに整備されているんだなという感じでした。けっこう、てくてく旅の方が歩いているんだろうなと実感しました。ということで、近々当HPの関連ページを改版しようと思って、今作業を進めています。ではまた。