ウォーキングの合間の無駄口


松前道からのたより

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

先月、函館の方から当方の松前道のhpを参考にして三厩宿から盛岡宿まで踏破したとの連絡があり、驚きました。参考にしてもらったことでうれしくもあり、街道の近況を知って懐かしくなりました。当方は腰痛で長距離を歩けないので、なんともうらやましく思いました。また、蒼前平(そうぜんたい)一里塚の先で、山の中の道が廃炉となり、迂回しなければならないところを、迂回せずに藪のなかを強引に、しかも川を渡って進んだようで、私の知るかぎりでは初めてなのではないかと思います。先達は、みなさん迂回して歩いていたので、ここが一番驚きました。来年は、東京をめざして歩くそうで、時々、hpを見に行きたいと思っています。URL: http://sakag.web.fc2.com  興味のある方はご覧ください。今年はこれで終わりですね。よい年をお迎えください。ではまた。

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松前道(奥州街道)のその後

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

6月になると、街道をあるいていたころを、ふと思いだします。あの日は炎天下で、たいへんだったな~、とか、国道はトラックが爆走していて、怖いくらいだったな~とかと。また、岩手、青森の街道は、山の中をいくので、歩く人がすくないだろうから、せっかく藪はらいをしてくれたが、藪が復活していて、あるけなくなっているのではと、心配しています。金があればエンジン付草刈り機をかついて、ボランティアに駆けつけたいなと思うこのごろです(金がないのでボランティアに行けないですが)。金成、有壁、一関の山越えのルートは、再調査に行ったところ藪が復活していたので、地元の観光協会の配慮があればな~と祈るばかりです。数年に一回ならボランティアで駆けつけられるのですが。松前道保存協会なんていうボランティア組織つくり、街道のメンテ(藪はらい)をしていくというのはどうでしょうか。そういうのを考えている人はいませんかね・・・・。ではまた。

 

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松前道関連HPの一部修正

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

今日、松前道の有壁宿と沼宮内宿のHPの一部を、先日の現地調査にふまえて修正・追加をしました。有壁宿関連では山道を抜け出る一関側(旧力建リフォーム工業側)から歩いてみて、途中の沼(溜め池)近くで藪となって進めなかったこと、また沼宮内宿関連では、現笹目子トンネル当たりの小繋川と街道跡の様子などを追加しておきました。いまさらですが、小繋川と道路とが交差している箇所で川岸へと入れる箇所があったのに入っていかなかったことが悔やまれます。なお、HPには記載しておりませんが、トンネルの上から線路側に降りる街道跡は草や木が茂った道なき道でしたが線路まではなんとか歩けました。その先は川沿いに線路を越えて降りていったのでしょうが、今は跡形もないので引き返してきました。このトンネル周辺の街道跡はガイドブックと地元の案内板での説明と大きく違っているので実態を解明したかったのですが、資金がつきましたので終了します。線路と道路の敷設でトンネル周辺の街道跡が消失していますが、この記事をよんだ方がさらに解明してくれることを期待して報告を終えることにします。ではまた。

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一関宿真柴あたりの街道

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

前回に続いて街道の近況調査を報告します。今回は有壁宿から一関宿へ向かう山道の出口付近、真柴の祈祷付近の状況を報告します。以前私が歩いた2010年の10月の1カ月後にボランティアの方々が藪を整理して復活させたルートを県道260号側から歩いてみました。旧力建リフォーム工業(廃墟)の建物横から街道に入り逆コースであるいてみました。草は伸びているものの藪ではないので草を踏みつけて歩けるのでなるほど、なるほどとこの先を期待して歩きました。熊よけの鈴をならして坂道をのぼっていきますと、杉の林となり平坦な道となりました。先に進むと次第に篠が邪魔をするようになりましたが、それをかき分けて進みます。しかし、沼の近くになったところで、20~30m先に杉の林が見えるあたりで篠藪にブロックされて進めなくなりました。2m弱まで育った篠が密集していてまったく前に進めなくなっているのです。なんとか迂回できないかと左右にいってみましたが、とにかく篠が育ちすぎていてダメでした。そこで前進は断念して撤収しました。なお、以前のときに切られた篠は50~60cmに育ってしましたが、その後に育った篠は2m弱まで育ってしまったようで、沼の周りは再度整理しないと歩けないようでした。そこで、以前に歩いた(株)ミチノクの横を通って、沼の向こう側に回ってみましたが、このルートは以前とかわらず残っていました。しかし、6年前に復活させたルートの入り口を探してみましたが、道の右手の草がかなり繁っていて右手に分岐する箇所が見つかりませんでした。ということで私が恐れていたとおり、通行する人が少ないので復活させた街道が再び藪に埋もれてしまうのではないかということが現実になっていました。街道復活から6年、人の往来がないので、やはり3年ごとにメンテがなどが必要なのかなと思った次第です。あるいは小型の四輪トラックを通過させるとかがあるといいのでは、と思って次第てす。なお、金成健康広場近くの復活街道もみてみようと思いましたが、雨に降られて断念しました。多分に藪が復活しているのではないかと思われます。なので、私がマップにのせた復活ルートは結構藪に戻っている可能性が高いなと残念な気持ちです。ということで、松前道はなかなか厳しい現状ですという報告でした。調査報告は以上です。ではまた。

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笹目子トンネル周辺の街道

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

先日、笹目子トンネル周辺の旧街道の様子を調査してきました。沼宮内宿から一戸宿までのマップを載せたときに廃止になった旧街道と迂回路を表示したので、現実にあっているのか気がかりだったので現地にいって調査した次第です。トンネル横の小道を上り奥州街道の道標のところにでると、あたりはきれいに草がかられていました。。川底一里塚と反対の小繋川へ下る道は「この先通行禁止」と指示されていました。それを無視して沢を渡ると、登る道と下る道がある。登っていく道は送電線の鉄塔メンテ用の道だった。下っていく道は道なき道で、藪のような獣道を草を踏み倒し雑木をよけつつ強引に進むことになる。暫く進むと線路にでる。線路から土手を降りる道はないので引き返すしかない。(列車が通過するので線路横断には十分注意が必要、通行禁止になっていますので) 鉄道の敷設工事で小繋川から登ってくる道は寸断され埋められてしまったようだ。引き返してトンネルを潜って小繋川沿いの車道をたどると、川を左手に見える箇所で川岸をよくみると川石を積み上げた石垣がみえその上を道が通っているようだった。そして車道が川を横断する橋のところでは川の右手に歩ける程度の平坦な地形が続いている。(ここを歩いて確認するべきだったが躊躇してしまった。残念無念!)その先に進むと保線用の階段があり、その先で川を渡るがこの手前あたりに土手を登っていく街道があり、先に見た線路に降りてくる道とつながっていたのではないかと推測された。よってマップに示した廃炉ルートは多少変更する必要があるなと判断した次第です。近い将来に変更する予定です。今回の調査で「小繋川を見下ろし左岸の急峻な斜面に沿って進む上り下りの厳しい難所」との案内板の解説に少し迫れた気がしました。最後に、このブログを読んだ方で、どなたかがここを通過したおりに、小繋川の左岸の道らしきところを調査してみませんか、と呼びかけて今回の報告を終了します。なお、小繋川沿いの車道は現在、道路陥没で進入禁止になっていました。歩くぶんには通過できますが。ではまた。

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アイヌ語の地名

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

先日、なにかの本を見ていたら、アイヌ語で「ベツ」というのは「川」という意味であり、「ナイ」は「小川とか沢」という意味である、と書いてありました。そのとき、そういえば三厩宿の手前に今別宿という地名があったことを思いだし、そこは川を渡った先にあったなと、その風景をも思いだした。多分、アイヌ語からの地名なのであろうという思いを強くした。また、「ナイ」のつく地名として青森宿の手前の野内宿があったな、と思いだした。ここも宿場の手前に小川があったからアイヌ語の地名なのかなと思える。野内という漢字そのものが意味不明で当て字の感がするので、アイヌ語の地名からきたのではないかと思った次第です。そうすると、三内丸山遺跡も近いのでアイヌ人と縄文人とは交流があったのだろうな・・・・と空想の世界にいってしまいそうです。ところで、最近はついに東海道の宿場から、日光道中、奥州道中、仙台道、そして松前道の三厩宿までの宿場名を記憶して、そらで言えるようになりました。脳の老化を防止するために宿場名を暗記して、以前は通勤電車の中で復唱していたのですが、通勤がなくなってしまったのでなかなか復唱する機会がなく、いまは散歩の時に思いだしては復唱しています。三条大橋から三厩までの片道を復唱するだけで疲れますので、さすがに往復はやっていません。ということで、ではまた。

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松前道のマップ表示開始

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

今日(7月7日19時~)から、松前道のルートマップ表示を開始しました。また、宿場マップ表示も開始しました。沼宮内宿から一戸宿まで32kmあり、山道を通過するのでgpsデータの件数がmax500を越えてしまい、表示プログラムの修正が必要となってしまい、gpsデータづくりの上に表示プログラムの修正もやった次第です。しかも、場当たり的な修正をすると、あとあとでわからなくなるのでちゃんとした拡張仕様のプログラムにしたため、もともとのデータの構成も変更することとなり、作業工数が大分くってしまった次第です。修正ではよくあることですが、バグでマップがまったく表示しなくなり、その潰しでまる2日かかってしまいました。原因はカウンタ一つのイニシャライズ忘れでした。ということでめでたくルートマップ表示が可能となりました。京都から龍飛岬までの街道のルートが表示されますので暇があったらご覧ください。また、宿場マップ表示も復活しました。以前の宿場マップ表示はgoogle-mapsV2 を使っていたのですが、googleがv2 のサービスをやめ、v3に変更してしまったためpinマーカの呼び出し方があっていないことが原因でした。pinマーカの呼び出し方を訂正して従来どおり各宿場にpinマーカが立つようになりました。ということで、マップ表示の件は一件落着となりました。しかし、google-mapsのミスも見つかったのでそのうち訂正が必要かも。ではまた。

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松前街道のGPSデータづくりで気づいたこと

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

今気づいたのですが、ブログにある桜の木が復活して葉が散っていました。緑の葉が散るというのは自然現象としてはないはずですのでチョットおかしい。いや、そこではなくて、この前まで桜の木のソフトは停止していたのに、何もしないでいたら生き返っていたので驚いています。提供元で停止していることに気づき、どこかを修正して復活させてくれたのでしょうけど、うれしいかぎりです。何か手を入れねばとおもいつつも放置していたので・・・・。ところで、表題の件ですか、街道のgpsデータを作っているHPではグーグル地図だけではなく、国土地理院の地図も表示できるので、グーグルマップにない山道や消失した道を探すときに地理院の地図をみるとそこにはルートが書いてあったりするわけで、なんか便利なきがします。古いデータが残っているという意味で大切な資料です。衛星写真と組合せてみると昔の道がなんとなくわかるようで、現地にいって確認したくなります。国土地理院のマップ表示はどのようにしたら利用可能なのか、気になっているところです。なお、GPSデータは蓬田宿までできたところです。まだまだです。ではまた。

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松前道の調査

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

ただいま松前道のGPSデータつくりをしています。先日沼宮内宿から一戸宿のルートのGPSデータをつくっていたのですが、32kmととてつもなくながく、また山道なのでくねくねしていて膨大なデータとなり500件を越えてしまったので、私のつくった街道ルート表示システムが対応できるか見直しが必要となってしまっています。オーバフローするようならシステムの変更となるのでチョットめんどうなことになるので回避したいと思っていますが、・・・・・・。しかし、32kmとなると昔は一日ががりの距離であり、山と谷を越える街道一の悪路なので、途中の間の宿で泊まったとおもわれます。小繋集落か、小鳥谷集落がそれに当たるのだが、ガイドブックにはなんの説明もない。小繋の長楽寺は本陣になったと現地の案内板にはあったが、正式な宿場ではなかったようだ。集落の大きさからいったら小鳥谷の方が現在は大きいようですが。話かずれてしまった。私がいいたかったことは、川底一里塚の手前のルートがまったくはっきりしないことです。GPSデータをつくっていて、小繋川に沿って左側に街道があったようなのですが、とりわけ国道のトンネルの手前からトンネルの先の区間のルートがわからず、私的に想像で川沿いのルートを引いてしまいました。なので、現場を再調査したほうがいいかなと不安になっているところです。そのほか、一関の手前などには開拓されたルートがあるのでそこも歩いて見たいとも思っていますが、資金が必要だし・・・・。ということで、苦慮しています。ではまた。

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太宰の『津軽』について

投稿者: youjirou, カテゴリー: ホームページ, 松前道

今日、先日語ったように、太宰が小説『津軽』で語っていたことなどを入れて、HPの記事を一部修正しました。蟹田宿、平舘宿、今別宿、三厩宿、龍飛岬の各HPです。今回再度小説を読んで、太宰は三厩宿の義経渡海伝説を「恥ずかしい」と恥じていたことをしりました。今の龍馬に乗って渡海する伝説をしったらさらに恥じ入るのではと思われます。ともあれ、往時の津軽のことを知る手だてとして太宰の『津軽』はなかなかいい資料ではないかと思いました。津軽を歩く方にお薦めです。ではまた。

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飛び回る小鳥たち