ウォーキングの合間の無駄口
成人の日の連休を利用して東海道の本陣リストの不明な宿場を再度訪問してきました。ほとんどの宿場では本陣跡を示す石碑やタイル、案内板が立っていました。私が歩いた2002、3年のときには何もなかったのが嘘のように感じられたほどでした。ただし、四日市宿はまるっきり何もなく、以前と変わっていませんでした。しかし、今度は下調べをしていったので、バッチシ本陣跡をカメラに納めてきました。四日市宿の中心はあの長餅屋の200mほど先の十字路あたりだったそうで、右手の角に本陣があったようですが、今は駐車場となっており、案内板もないので単なる空き地としか映らないようすでした。戦時中の空襲ですべて焼けてしまい、今は単なる住宅外として復活しているようです。唯一の遺跡が長餅の笹井屋さんのようです。その他、亀山宿、庄野宿、白須賀宿などなど不明な本陣をとってきましたので見てください。肝心のHPそのものの修正はちょっと遅れています。ではまた。
新年あけましておめでとうございます。昨年は震災、津波、原発爆発と誰も予想もしない多難な年でしたが今年はどんな年になるのでしょうか。私的には東海道の本陣リストの改版を完了させることと松前道のHPの作成を進めたいと思っております。昨年12月にパソコンをHP製Omni220に変えました。まだまだなじめない感じで、HP作成アプリがうまく動くのかまだ試していませんか。まあなんとかなるでしょう。なお、てくてく旅も水沢宿から先に進めたいともおもっていますがどうなることやら。ということで、ではまた。
前回報告した夜盗坂の先の街道ルートですが、百聞は一見にしかずとの諺もありますので、とりあえずそのHPを紹介すべきだと思いました。なので、そのURLを以下に紹介しておきますのでご参照ください。
・http://tohoku-kaido.com/miyagi/miyagi-img/pdf/kariharaihoukoku.pdf
・http://tohoku-kaido.com/miyagi/miyagi-img/pdf/20100123oshukariharai.pdf
・http://8835963sugagaki-k-r.at.webry.info/201011/article_5.html
前回報告した夜盗坂の先の街道ルートの件ですが、その後にググッてみたら、何となんと、夜盗坂の先から高速道路の手前と高速道路からその先までが1月までに開通し、本来の街道ルートが開かれていたことが判明しました。地元の方々がボランティアで藪を刈って切り開いたと報告されていました。夜盗坂の先にも道標がでていたのだと思いますが、そんな道は無いものだと思っていましたので、見落として舗装道路を歩いてしまったようです。高速道路の先は道標を見つけたのであるきましたが・・・・、残念!また、有壁から一関までの山越えルートでも、私が歩いたその1カ月後に、藪で歩けなかった本来のルートが開通したとの報告もみつかりました。またしても残念!ということでうれしいやら残念やらで複雑です。ではまた。
このところ無駄口をたたくのを忘れていました。松前道の説明文の執筆に
おわれておりまして、今日現在、七北田から有壁まで済んでおります。先
人の道中記では歩いていない新たな街道ルートの発見もありましたので、
うまく報告しなければと気を使っています。また、街道を振り返って見返
していると、夜盗坂の先の牧場から高速道路までのところで、街道ルート
の検証が漏れていることがわかったのでガッカリもしているところです。
だれかが検証してくれることを期待してとりあえず執筆を進めております。
ではまた。
なかなか気がのらないので、のびのびになっている松前道のHPの作成作業をやっと再開しました。七北田宿から富谷宿、富谷宿から吉岡宿、吉岡宿から三本木宿までなんとか説明文をだけを書いております。七北田宿についてガイドブックにはほとんど何も書かれていないので、ググッてみたら「はっけん七北田」というのがあって、いろいろ詳しく説明されていました。七北田というのは坂の中間から上の地区をいい、下側が市名坂ということをそこで初めてしりました。てっきり七北田川の近くを七北田というものとばっかり思っていたことを自覚し恥じ入るばかりです。ということで、ゆるゆると始めましたが、新発見もあるのではやく公開したいという気もありますが・・・。ではまた。
9月21日の台風15号にはひどい目にあってしまった。会社は3時に退社していいとの指示を出したが、電車は途中でストップ。ええ~! どうすることも出来ずに暇つぶしの場所をさがし、ネットカフェを見つけて入ってみた。1、2時間したら電車も動くだろうと思っていたらいっこうに運転見合せのまま。ついに5時間近くまたされて、ネットカフェ代金も2600円も取られてしまった。やや高いかとも思ったが、飲み食い出来て、暇も潰せたのでまあまあ仕方ないかと納得してしまった。どういう料金システムになっているかいまだに分からないでいるが。あてもなくユーチューブをあれやこれや見ていたが、脱原発集会に6万人もの人が参加したパレードを見た。俳優の山本太郎も参加しパレードしていたが、10万人もの人が原発難民となり自宅から離れて暮らさざるをえなくなっているのだから、たいへんなことになっているんだなと、帰宅難民となった自分を忘れて見入っていた。被災地へのボランティア募集を会社でもやっているが、腰痛が心配でとても応募できないと思っている。いつのまにか年寄りになってしまったのだ。残念・・・・。ではまた。
以前にもいいましたが、東海道の不明本陣跡の追跡調査を8月1日に行いました。沼津宿、原宿、吉原宿、興津宿、江尻宿、府中宿を探訪したわけですが、天気が良くて結構厳しかったです。しかし、行ったかいがありまして、当てのないまま向かった江尻宿では、現地で和菓子屋さんに入って聞くと、意外とあっさり案内板や本陣跡にたどりつくことが出来ました。最初に現地を尋ねたころには無かった案内板が整備されているのには驚きました。どの宿場跡でも結構そのごに整備されているんだなという感じでした。けっこう、てくてく旅の方が歩いているんだろうなと実感しました。ということで、近々当HPの関連ページを改版しようと思って、今作業を進めています。ではまた。
先日より、本陣跡不明の東海道の宿場を調査していました。そこで東海道一、冷淡な宿と一部のひとがいっていた四日市宿について調査していたところ、ググッてみると結構分かってきました。まず橋を渡った先の笹井屋の先が宿場跡で、札ノ辻があってそこを中心にして東西南北に市がたったとのことであった。で、その辻の先にある黒川農薬店が黒川本陣跡である。だがその本陣は第二本陣で筆頭の本陣は清水本陣で明治まで残っていたというのだが、その位置を記したものが見つからないのだ。ということで、四日市の本陣について広く調査していくと、四日市出身者の明治、大正のころの文芸誌のなかに、札の辻の北角に清水本陣があったと記載してあるのを発見した。現在は跡形もなくなっているようだが、札の辻の北角に清水本陣があったようだ。なので、現地にいって、笹井屋あたりで聞いて確認する必要があるが、かなり確度が高いと思われる。長い間不明だった清水本陣跡があっさり判明してしまったのでうれしいやら悲しいやらで、気持ちは複雑です。ところで、四日市宿の繁華街はアーケード街の辺りなのだろうと以前は思っていたのだが、それは現代からの視点でしかないことがわかった。また、ガイドブックもかなり調査不足な点があるなと実感されもした。ということでそのうちに本陣跡のリストを更新しなければと思っております。ではまた。
今週末からわが社では夏の連休がはじまります。といっても土、日をいれての4日間です。節電のため月、火を休みにするものですが、11月の休みを移動してくるというものですから、当社も節電に協力していますというものです。ということで、夏休みをどう過ごすのか思案中です。田舎へ帰省する時期でもないので、松前道のHPづくりでもやるかと考えているところです。実は6月の初めごろに一旦は開始したんですが、歯痛やら腰痛やらでテンションがガタオチで、腰が重くなって中断していたところです。台風以来やや涼しいですが、まだまだ厳しい暑さが続くでしょうから、外をうろつかないでHPづくりに取り組んでみようかと思案しています。ということで、ではまた。