ウォーキングの合間の無駄口
十和田から青森宿まで歩きましたが、ところどころに松並木や一里塚が残っておりなかなかいい旅でした。しかし、野辺地の手前の石文から夫雑原に向かう山道は難儀しました。5年前の先達の話では「快適な山道」との報告がありましたので、舗装道路から山道に気楽に入っていきました。しかし、踏み跡のない草道でおやおやと思いましたが、その先はあまり草も伸びていない山道で安心して進んでいくと、突然道の形跡がなくなり草が伸び放題になりました。右手の林の淵にそって道はあるようなのでそのまま草をわけて進んでいくと、熊笹が背丈ほどに伸びて完全に藪となっていました。方向は間違っていないか確認し、一度は引き返しましたが、もう一度熊笹の藪に挑戦し、前が全く見えないまま強引に突き進みました。50mくらいの藪をすぎると、その先はフキなどが伸びた草道でした。人の歩いた形跡もない草原道で隣は畑なので畑側の道を歩いていくと、やがて左手からの舗装道路と合流して安心した次第です。この山道の熊笹は通年で生きていますので多分通行不可となるんではと思われます。日当たりがいいので我がもの顔で生息してしまったようです。長者久保の先の山道も同じではと心配して進みましたが、意外にも草は伸びてなく、歩き安い山道でした。とりあえず報告まで。ではまた。
11月に歩いた小鳥谷(一戸宿てまえ)から三本木原(十和田)までのHPを追加しました。正月休みをフルにつかいましたがけっこう工数がくってしまいました。振り返って思うことは後半になると結構写真がすくなくなっているなということです。疲れているからなのか、”何もないからととらなかった”ような気がします。何もなくても街道の今の風景はそれだけで価値があることに気がつきました。なので、そこを肝に命じておきたいと思います。さらに、こんど十和田にいったらとりそこなった茶屋跡や町並みをとってこなければと考えています。前置きが長くなりましたが、追加のHPをみてください。ではまた。
新年(2015年)あけましておめでとうございます。今回も大晦日は紅白をみてすごしました。紅白の結果も昨年どうよう (?)白組が勝って、どうもいまいち赤組がぱっとしないなという感想でした。でも「アナ雪」のコーナはよかったと思います。メイ・ジェイ、神田沙也加、イディナ・メンゼルと豪華な並びで、特にメンゼルのLet it goはミュージカルの歌手らしい圧巻の歌でした。松たか子の歌でなくとも十分満足できる構成だったと思います(個人的には)。紅白はそのくらいにしておいて、正月休み中は一戸宿から十和田までのHPを作成しています。写真を見ながら原稿文をかいている最中です。これって文章を起こさなければならないので結構めんどくさいんですよ。先達の方のものも見て参考にしていますが、なかなか時間がかかってしまっています。今はちょうど高山のところを書いています。そういえば高山の展望台へのルートですが、左手にあった松が強風で倒れてルートを塞いでしまっていて、かろうじて一人通れる程度になっています。これってだれが対策するんですかね。あと一つ。頂上の広場の展望台ですが、周りの樹木が大きく育ちすぎてまったくの無展望状態になっていました。かろうじて八戸の方角のみ樹木の隙間から見える程度で、展望台をとるか樹木をとるか解決がせまられている感じでした。多分、展望台はあきらめているんでしょうね。というわけで、正月休み中に完成させたいと思いながら作成作業をしています。本年もよろしくお願いします。ではまた。
11月8日、金田一のホテルを8時前にでて、休みもそこそこにして歩いたのに、五戸宿の宿に着いてのは17時半だった。陽が落ちてしまっただけでなく、星も月もなく、薄明かりの中をとぼとぼと歩き通して何とか宿にたどり着いたしだいだった。この時の道程を振り返って見ると、金田一宿8:05、釜沢集落9:33、駕籠立場10:00、三戸宿11:13、法泉寺12:17、南部利康霊屋13:26、高山15:00、浅水集落16:10、鳥内清水16:37、槍沢追分17:04、旅館17:30、ということで、9時間半のコースだったわけです。地図上では約30kmだが、山の登り降りが3回あるので、多分実質35km以上あったのではないかと思います。浅水に宿泊するところがないので、どうしても越えていくとなると、三戸から出発するのがベターですが、前日のコースはそこまでたどりつけないので、この強行軍となったしだいです。春のごろなら、17時過ぎてもこれほど暗くならないので、余裕の道程ですが、秋の陽はつるべ落としというように、一気に暮れるので不安の道程となってしまったわけです。これもまたいい思い出になりましたが・・・・・。ではまた。
伝法寺一里塚は「藪に覆われて見つからない」、とか「一里塚ぽいところはあったが見つからなかった」とかの報告があったので、私は伝法寺館横の街道からではなく国道を進み、坂の途中で左折して民家の庭前を通過する街道をすすんだ。人気もなく、犬も吠えない民家の前を通過し登り坂となり、キョロキョロしながら進むと右手の山の上が土饅頭的なので一里塚では思い凝視したが標柱がないし、左手には一里塚のような土饅頭がないので違うだろうと思い坂を登る。するとすぐにY字路が現れる。「民家の先」という先達の報告を思いだし、もう一度もどって確認してみようとした。右手の土饅頭を下からみたのではわからないので草がかれている山を登ってみた。ビンゴ!!、街道側からはわからないように?塚の上の木の反対側に「県史跡一里塚」の標柱があった。そして、そこから北側を見ると、そこにも土饅頭があるではないか。しかも、その間には堀跡のような道がある。しかし坂道の下側は藪で覆われていて通行できないようである。一里塚が作られた当時はこの道が街道だったのだ。ところが今の農道兼街道が南側の一里塚の裏側にできてからは、旧街道が通行されないままになったようだ。今の街道側からは標柱が見えないが、古い街道跡からは左手に見える位置にあるので、それはそれで正解なのかもしれない。しかし残念なことに、今の街道は南側の一里塚の裏側を通過しているので「一里塚ぽいところ」にしか見えないのだ。しかも、山の上にあり、左手には一里塚ぽいものがないという悪条件下にあるので、多くの人が見過ごしていたのだろうとと思える。ちなみに、この場所は伝法寺館側から来た道と国道から左折して来た道との合流した先の登り坂の途中であり、かつY字路の手前の右手上である。ついでにいえば、このY字路は右側に進むのが正解である。私は左手に進んでしまい、どんどん南にいくので引き返し、ここを右に進んで本来の街道を進むことができたしだいです。それにしても、古い街道跡を調査できなかったのが心残りだ。ではまた。
11月9日、15時30分、三本木原(十和田)まで踏破しました。7日、小鳥谷から歩き始め、一戸、二戸(福岡)、8日、金田一、三戸、9日、五戸、伝法時、藤島、三本木原、と歩きました。朝の最低気温が3度とかといっていたので冬の身支度で出かけましたが、行動中はそれほどの寒さではなく、毛糸の帽子を使うことはありませんでした。しかし、このごろは日も短く、月も出ない時節なので16時30分をすぎると暗くなってしまいます。しかも山の中を抜けていないのに暗くなってしまうのですから、まったく難儀しました。そんなときに威力を発揮したのが電子地図帳、旅ナビでした。現在位置と周りを同時に表示してくれるので周りが見えなくても歩いている道が目的の道であることが確認できて大助かりでした。昼間ならこんなもの必要ないのですが、いざという時に役立ちました。ということで、この旅のトピックスをおいおい報告します。ではまた。
9月14日、松前道に盛岡宿、渋民宿、沼宮内宿のHPを追加しました。トップの地図も近日中に修正する予定です。夏休み中にコツコツと編集していたもので、実際にHPを作ってみると、なぜここで写真をとっておかなかったんだ思うことが何度が出てきます。小繋に向かうよの坂の鬱蒼とした雰囲気を示す写真がないことや、川底一里塚とは反対側への消失した道の様子とか、後悔しています。ケチらずにとらねばと反省です。しかし、盛岡宿をすぎると宿場と宿場との距離がながくなり、いろいろ紹介するとHPが長くなってしまうので気がかりです。とはいえ、今回は地元の方しか知らないおもしろい話が所々に登場してきますので是非よんでみてください。ではまた。
そういえば沼宮内でのハプニングとしてキセルを疑われたことについて語ったが、もう一つ大きなハプニングがあったのでそれを紹介しておきたい。当日、午前中に旅館笹相に予約をとっておいた。16時30分ごろに沼宮内駅を通過して旅館にたどり着いた。入り口の扉をあけ「すいません」と声をかける、が応答がない。何回も声をかけてみるが誰も出てこない。次に靴を脱いで上がり、ベルを鳴らしてみる。これもだめ。予約してあるのにな~と思いながら、少し待ってみることにする。泊まっているお客さんが出てきたので訪ねると、用事があって出かけたという。しばらくすると別のお客さんがきた。その方はまだ予約していないという。二人で玄関の脇のソファで待つ。1時間後、後から来たお客さんは二戸の宿がとれたのでそちらに行くと出ていった。2時間たっても誰もいない。いい加減に疲れたので、広間に上がり、お茶を入れて持参のお菓子を食べ、テレビをみる。3時間がたち、暗くなってきた。どうなっているんだとぼやいているとやっと、女将さんが帰って来た。誰もいないことに女将さんは驚いて平謝り。その後の様子では旦那さんに頼んでいったのに、遊びに出かけてしまったらしいのだ。早くついてゆっくりお風呂にとの思いはつえさり、無駄な時間の過ごし方になってしまった。それにしても3時間も待たせられるとは、とんだ思い出だった。ではまた。
6月22日、御堂駅まで何とか歩きとおし、駅で一休みしてから登り電車で沼宮内駅まで帰ることにしていた。駅員のいない無人駅となった待合室には、乗り過ごしてしまったので登りで帰るのだといっている40~50才代のおばさんが一人いるだけだった。やがて電車がきたので乗り口のマークがあるところから車内にのりこんだ。が、入口のとなりに乗車券をとる機械があったが、「なんだろう、乗車券の機械のようだが・・・・」と無視していた。後から乗った例のおばさんはその機械からきっちり乗車券をとっていた。沼宮内駅につき、近くのドアからおりて改札にいくと、駅員から「どこからのりましたか」と質問され、「御堂から」と答えると、「乗車券をもっていないんですか」と疑いはじめ、「それを証明するものがないのでは」とか、「みんな御堂からというんですよ」と完全にキセルをしているかのような扱いをうけた。頭にきた私は「御堂まで歩いていき、沼宮内駅前の旅館に泊まるので電車でもどってきたんだ」といったら、「じゃあ、認めましょう」といい、一駅間の料金ですんだ。乗車券をとらないとこういうことになるのかと、はじめて銀河鉄道の乗り方をしった次第でした。ワンマンバスで乗車券をとることは知っているが、ワンマン電車で乗車券制になっているのは初めての体験でした。そこで、例のおばさんを思い出し、そういえば先に改札を通過したおばさんは乗車券をだして御堂からとかいっていたな~と、あのおばさんにいっしょに御堂から乗ったと証明してもらえばよかったなと思い出した。・・・・むむむ、しかし、確かあのおばさんは乗り越して御堂からもどるといっていたのであり、あのおばさんこそキセルをしていたんだとわかった・・・・。そういうわけで、とにかく銀河鉄道は乗車券制のワンマン電車であることを肝に命じておこう。ではまた。
前回の続きを、その後すぐに書くつもりだったが、いつのまにか1月ちかくたってしまった。で、続きとは次の日に歩いた渋民宿から御堂までのことになるのだが・・・・・。渋民には以前に家内と一緒にいったことがあるので、石川啄木の記念館や学校跡がなどがあることはしっていた。そして小さな喫茶店がある程度でスーパーなどはなく、バス待ちの時間つぶしと空腹に苦労したことを覚えている。今回ネットのマップで見たらイオンとあったのであのイオンかな~と半信半疑でいきました。啄木の記念館から少し先にいくと、大きなスーパーが現れたので、あのイオンでした。渋民村もかわったな~と感じました。昔の村のイメージから脱却した、新しい渋民だなと思った次第です。そして民宿でのおやつを買おうとしてイオンに入ったのですがいろいろ目移りして、結局ミスドのドーナツを買ってしまいました。都会生活から抜けられない自分だなと確認した次第です。ではまた。