ウォーキングの合間の無駄口
伝法寺一里塚は「藪に覆われて見つからない」、とか「一里塚ぽいところはあったが見つからなかった」とかの報告があったので、私は伝法寺館横の街道からではなく国道を進み、坂の途中で左折して民家の庭前を通過する街道をすすんだ。人気もなく、犬も吠えない民家の前を通過し登り坂となり、キョロキョロしながら進むと右手の山の上が土饅頭的なので一里塚では思い凝視したが標柱がないし、左手には一里塚のような土饅頭がないので違うだろうと思い坂を登る。するとすぐにY字路が現れる。「民家の先」という先達の報告を思いだし、もう一度もどって確認してみようとした。右手の土饅頭を下からみたのではわからないので草がかれている山を登ってみた。ビンゴ!!、街道側からはわからないように?塚の上の木の反対側に「県史跡一里塚」の標柱があった。そして、そこから北側を見ると、そこにも土饅頭があるではないか。しかも、その間には堀跡のような道がある。しかし坂道の下側は藪で覆われていて通行できないようである。一里塚が作られた当時はこの道が街道だったのだ。ところが今の農道兼街道が南側の一里塚の裏側にできてからは、旧街道が通行されないままになったようだ。今の街道側からは標柱が見えないが、古い街道跡からは左手に見える位置にあるので、それはそれで正解なのかもしれない。しかし残念なことに、今の街道は南側の一里塚の裏側を通過しているので「一里塚ぽいところ」にしか見えないのだ。しかも、山の上にあり、左手には一里塚ぽいものがないという悪条件下にあるので、多くの人が見過ごしていたのだろうとと思える。ちなみに、この場所は伝法寺館側から来た道と国道から左折して来た道との合流した先の登り坂の途中であり、かつY字路の手前の右手上である。ついでにいえば、このY字路は右側に進むのが正解である。私は左手に進んでしまい、どんどん南にいくので引き返し、ここを右に進んで本来の街道を進むことができたしだいです。それにしても、古い街道跡を調査できなかったのが心残りだ。ではまた。