04:越ヶ谷宿(こしがや)
・人口4603人、家数1005軒、本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠52軒
・現在は越谷と表記するが、以前は越ヶ谷と「ヶ」を入れて表記していた
・街道筋であったことを解説するものが一切ないのはもったいないと思うのだが

 越谷---秋田路跡---戸井橋---備後一里塚跡---春日部 10.8km
 2005年11月5日





 12時37分、宿場内に入る。1km位進むと右手に黒壁の連子格子の建物が現れる。塗師屋という屋号の家である。その先に進むと黒壁の雑貨屋が現れる。街道筋の風情が残っていると往時が偲ばれて歩き旅も楽しくなる。元荒川に架かる大橋を渡ると、その先に常陸道の追分が現れる。この左手にある、きどころパン屋の所が福井本陣の跡である。


 その先に進むと左手に東急ストアがあったのでトイレを拝借した。出てきてから地図で確認すると、そこは深野脇本陣跡に位置する所だった。さらに進んでいくと東武線のガードを潜るが、宿場はその手前までで終る。越谷宿には標示杭や解説の掲示板がどこにもないので、昔の歴史を地元の人も忘れてしまうのではないかと気に架かる・・・・。


 東武線のガードを潜った先の左手には元荒川が開けており、昼飯の時刻でもあるので、川べりで昼食をとることにした。うまい具合の木陰がないので、草原で秋の陽をあびながらおにぎりを頬張り、お茶のんだ。時折、地元の散歩の方が通りすぎて行くだけで、景色はのんびりとしていた。私ものんびりしてシャッターを押すのを忘れてしまった。街道沿いの土手には荒縄が巻かれた道祖神のようなものがあった。


 暫しの休憩をとったので街道にもどり、粕壁宿へ向けて出発する。街道は再び東武線を越えて右側を進むことになる。暫く何もない単調な旅となったが、民家の柿の実が青空に映えて秋の色で慰めてくれていた。アイビボール越谷の手前の神社の左手あたりに、秋田の佐竹候が参勤交代で休息に使ったと言われる秋田路跡があるとガイドブックあったが、目印がなく分からなかった。松崎ダルマ産業という会社がそのあたりにはあったが・・・・。


 街道は再び国道4号線と合流し、新方川に架かる戸井橋を渡る。その後は何もない国道歩きがつづく。途中、日本橋から31kmの標柱があった。戸井橋から3km位進んだところに一里塚跡があるので注意して歩くが、なかなか発見できないので、見落としたかと不安になる。すると民家の塀の横に備後一里塚跡碑が現れた。ホッとしてシャッターを押す。後は一路粕壁宿をめざすのみとなったので、民家の横から右手を流れる古利根川の横にでて暫し休憩をとる。


 街道にもどると秋の陽は赤く輝き始めていた。もくもくと国道を歩き、やがてY字路(実際は三叉路)にでる。ここを左に進み粕壁宿に入る。



(03草加宿) (05粕壁宿)

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