31:消えた街道
・銅市金属工業前から川中子の間の旧街道の痕跡がハッキリしない。
・銅市金属工業前から200m位はハッキリしているのだが・・・、そこで現地調査をこころみた

 銅市金属工業前---県営羽川住宅---川中子---小山用水路
 2006年11月24日





 ここで”失われた日光街道”と呼んでいる箇所は、新田宿と小金井宿との間の街道のことである。銅市金属工業前から川中子の寿司屋前までの間、つまり地図上のAからFまで小川沿いに街道が通じていたのであるが現在は通行出来ない。そこで昔の街道の面影を探して現地を調査してみた。


 日光街道は銅市金属工業前の所で左手に入り、すぐに右手の銅市社の倉庫前の道へ進む(A地点)。しかし、その前に銅市の倉庫裏となって隠れてしまった石仏群を見ておこう。倉庫裏には由来はよくわからないが観音様をはじめとした7つの石仏がある。当時は街道に向かっていたと思われ、行き交う人々がお参りしたであろう石仏も、現在は倉庫裏へと追いやられてしまっているので見落とさないように注意したい。丁度このとき、倉庫から銅市社の年配の方が出てきたので、「この道は昔の日光街道でいいんですかね」と尋ねると、「ここの人間ではないのでわからないな」という回答だった。残念ながら昔のことには感心がない方のようだった。


 倉庫前の街道を進んで行く。小川沿いにあった街道は、小川を暗渠にしているため拡張されている。ここは銅市社の私道であるとの看板はないが、地図上では何故か途中まで道は無いことになっている。約200m位進むと右折する橋が現れる(B地点)。直進すると50m位先で街道は民家に突き当たり、行き止まりとなる。人の通れる様な小道が残っていないか探してみたがも何も無かった。仕方なく国道4号線に出て暫く進む。


 左手に県営羽川住宅のある交差点で左折して進むと、小川を渡る橋があるがそこから川沿いの道があるのではと期待して探したがまったく道は無い。川岸は民家で占められいるのだ。橋を渡り住宅街を進んで行って左手の奥まった川岸の所を探索したが、ここも同じだった(C地点)。


 更に反対の右手に進んで行って住宅の間から小川沿いを探索したが道の面影はまったくなく、川岸まで民家が迫っていた(E地点)。


 住宅街の道を抜け、小川が右手に見える畑横の道を進んでいくとやがて寿司屋の前の所にでる(F地点)。ここでは小川は暗渠となっており見当たらない。小川がある方向に戻る道に入って見ると、50m位先は資材置き場で行き止まりとなっている。資材置き場まで行くかどうか迷っていると、寿司屋の主人らしき人がきて、「ここは私道で、その先は行き止まりですよ」と教えてくれた。日光街道を探索していることを話すと、「この前にもそういう人がきた。もう3人位きたかな」と話していた。旧街道を歩く旅のことを話し、お礼をいって分かれた。ここから先、小金井宿への街道はしっかりと残っている。


 今回探索して分かったことは、この区間の街道は入口側と出口側を残して途中は跡形もなく消失しているということである。ただ小川だけは昔と変わらずに残っていた。1978年出版のガイドブックでは「日光道中は国道と分かれて斜め左にはいるが、畑になっていて通行できない」と記述されており、掲載されている地図でも小川の左方は果樹園と畑の記号で占められている。また、右方は畑ではなく既に建物で占められている。したがって、30年前にすでにこの区間の街道は畑と果樹園となっていたということだ。たぶん、旧街道に代わる道として国道が造られた時に、街道は隣接する畑の地主のものとなって耕されてしまったのだ。その後周辺に人が住み始め、やがて宅地として売却され現在に至っているのだと思われる。今となっては銅市社の倉庫裏となった石仏群だけが街道筋の面影を残している。大事に保存したいものだと思う。



(22鉢石宿) (32本陣跡)

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