06:杉戸宿(すぎと)
・人口1663人、家数365軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠46軒
・日光街道が定められてから付近の民家を集めて宿を開いたところ
・一面に水田があり良質のもち米がとれ、将軍家の膳には必ずこの地のものを用いたと言われる

 杉戸---国道合流地点---茨嶋一里塚跡---御成道追分---幸手 6.4km
 2005年11月6日





 11時丁度ごろ、国道四号線から分かれて暫く進み、本屋さんの所で用水路を渡って宿場内に入る。右手の杉戸高校の先まで進むと、左手の路地の奥に山門が見えたので近づいてみると東福寺だった。街道にもどり洋菓子店前で宿場内を撮っておく。その先の三井信託銀行前に明治天皇御小休所跡の碑がある。その先のとらや薬局は昔からの薬屋で虎屋の屋号だった。


 さらに進むと、右手奥に門構えを残している本陣跡が現れる。その反対側には白壁の家がある。ガイドブックでは伊勢屋跡と記してあるので、向かいの店のおばあさんに聞いてみたら、本陣跡は確認がとれたが伊勢屋跡ははっきりしなかった。街道はその先で右にカーブするが、そこには黒壁と連子格子の街道筋の風情を残した建物がある。街道を進み杉戸宿の外れまでくると、突然、長屋門と黒壁の蔵のある立派な屋敷が現れる。渡辺家の屋敷である。


 街道は再び国道と合流し、単調な国道歩きとなる。合流して2km位歩いた所にスーパーが左にあり、右手に小道がある所が茨嶋村の一里塚跡なのだがきれいに無くなっており、電柱がたっているだけだった。通り掛かった近所のおばさんに一里塚のことを聞いたが分からないとのことだった。私が付近をうろうろしていると、家の方に聞いてみたが解らなかったと再び教えてくれた。おばさんにお礼を言って街道を再び進む。


 街道はアップルの看板が掛かった中古車販売所のY字路を左手に進み、また国道と分かれる。東武鉄道の踏み切りを越え田んぼの中のまっすぐな道を進んでいくと、やがて丁字路となり左手からくる御成道と合流して幸手宿へと行く。御成道は将軍家が日光・東照宮に参詣する時に使った道である。


 街道はここを右折して進む。すると、すぐ右手に太子堂という祠が現れる。この近辺には八坂神社、神宮寺など5つの神仏が密集して存在しているので、神仏もさぞ息苦しかろうと思いやられる。しかし、神仏に気をつかっている場合では無くなってきていた。例によって足が痛んできたのだ。東武鉄道の踏み切りを渡り、突き当たりを左に曲がって志手橋を渡る。足の痛みをどこまで堪えられるか不安に思いつつ、その先の幸手宿に入る。



(05粕壁宿) (07幸手宿)

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