18:宇都宮宿(うつのみや)
・人口6457人、家数1219軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠42軒
・日光道中第一の繁昌の地、下野国第一の都会なりと言われていた宿場である
・二荒山神社が下野国「一の宮」と言われていたことから訛って宇都宮となった説などがある

 宇都宮---駐屯地---バス亭一里---徳次郎 9.1km
 2006年5月4日





 12時35分、Y字路の正面に不動堂がある宇都宮宿の入り口に立つ。その横には江戸時代の城下町の地図が示されている。街道はこのY字路を左手に進む。左手に進んだ先にレストランCOCO’Sが現れる。時間もよく、ここでカレーでも食べるかと入ってみるとファミレスと同じだったので、ハンバーグライスを食べる。今日は天気もいいので、日陰で冷たいオレンジジュースを飮めるここは天国のようだ。しかし天国にいつまでもいるわけにはいかない。再び前へ進む、が足が痛みだしてきた。


 東武宇都宮線のガード下を潜り抜けると、その先の右手に蒲生君平勅旌碑が現れる。明治維新に功績があったことから明治天皇の勅命をうけて故郷に碑が立てられたとのことである。


 宿場内を暫く進んでいくと左手に一向寺が現れる。汗かき阿弥陀という本尊があるとのことだ。更に進んでいくと連子格子風な造りの家が現れる。その先に進むと、道が少しずれている所があり変な造りだなと思いつつ通過する。(後から分かったことだが、そこは鉤の手の所だった。だいぶ疲れてきてカンピュータが働かなかった。)その先には「米兵」という珍しい質屋の看板が現れた。「え~、べいへい」のみなの、と驚いたのだが・・・・・。


 やがて街道は裁判所の所で丁字路となり右折して進み伝馬町に入る。日光街道は100m位進んだ所で左折するのだ。小豆色の建物のところがその箇所だ。しかし、このまま通過してしまっては味気ないので、宿場内の様子を一応見ておこうと本陣跡を探して前に進む。


 すぐ先の右手に上野本陣跡が現れる。その先の左手に石塚本陣跡があるのだがすぐには見当たらない。探している暇はないので、奥州街道に挑戦する時の楽しみに残して、宿場内をカメラに納めて日光街道を進むことにする。


 左折して日光へと向かう街道に入ると、その先右手には土蔵づくりの家が現れる。いまでも商売をしいる様子だ。片側1車線の道はどことなく街道の匂いを感じさせている。その街道を進んでいくと、松原2丁目の所で左手に石碑が二つ並んであったが、刻まれている字が読めず正体不明だ。(浮浪雲さんのHPによると勝善神の碑という神道系の牛馬の守護神の碑だそうである)


 暫く進むと街道はその先で国道119号線と合流する。その先からは見るものもなく、ただもくもくと歩くことになる。やがて大きな通りと交差する上戸祭の交差点となるが、その先からは桜と檜の並木道となり、車道と歩道とが分かれ、歩道は車道よりも高い位置を歩くことになる。しかし、この大きな道路はガイドブックには記載されていないので今どこにいるのかわからずパニクッてしまった。仕方がなくとにかく前へ進むことにした。


 その先にある一里塚を目指して左手の歩道を歩いていくと文星芸術大学が現れる。ガイドブックの地図が古すぎて記載されていないため、いまだに位置がわからないままだ。ここで右側の歩道に変えて進む。ガイドブックにはステーキハウスの近辺に塚があるとのことなのでそのつもりで探したがステーキハウスも一里塚も見当たらない。で、とうとう釜川の橋のを発見することとなって、かなり過ぎてしまったが見当たらないということは消失してしまったのかもしれないなと自己納得する。


 (後から分かったことであるが、道路左側の文星芸術大学の先にある文星短期大学前のバス亭の手前に一里塚はあったのだ。右側でいえば自動車教習所の手前に右側の一里塚があったのだ。ガイドブックに書かれていた目印のステーキハウスはだいぶ前になくなってしまったようだ。左手の文星短期大学の大きな建物に目を引かれ、歩道の右手にある一里塚も見落としていたようだ。残念!)


 徳次郎までにはもう一度一里塚があるので、次の一里塚は見落とさないようにしょうと前向きに考えてとにかく進むことにする。やがて東北自動車道の宇都宮インター道の立体交差を通過し、その先では田園風景を眺めて進んでいくと、右手に高谷林の一里塚が現れる。おお!、江戸から29里目の一里塚だ。しかし、一里塚は日陰にあって逆光となり上手く撮ることができない。左手の一里塚も健在で、こちらは上手くカメラに納まった。


 高谷林の一里塚を後にして進み、東北自動車道のガード下を通過して暫く歩いていくとその先は徳次郎宿だ。



(17雀宮宿) (19徳次郎宿)

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