12:間々田宿(ままだ)
・人口947人、家数175軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠50軒
・宿内は日光側を上町と呼び、中町、下町と続いていた
・芭蕉は二日目の夜にこの宿に泊まったのだが場所は定かではない

 間々田---西堀酒造---栗宮---小山 6.2km
 2006年1月9日、3月20日





 12時10分、街道を進んでいくと左手に竜昌寺への矢印があったので左折して進んでいくと竜昌寺の墓地だった。お寺側に回り込んで行くとトイレがあったのでついでに用をたさせてもらった。山門はベンガラ色の立派なものだった。山門側から街道に出て見るとこちら側が正門だったことを知った。足の痛さがだんだんと酷くなってきたので、これ以上は無理と判断し、今回はここで帰宅することにした。痛い足をかばって歩いているとJR間々田駅がやけに遠くにあるような気がした。


 3月20日、16時40分、竜昌寺前から再び街道を歩き始める。店などが並んでいる間々田の交差点を過ぎた先で、脇本陣があったのだがと左手を見ていると脇本陣跡の館野さん宅は無かったが、駐車場横に問屋場跡の立て札があった。そしてその先に進むと駐車場横には、本陣跡の立て札が現れ、駐車場の奥にはかつて本陣だった青木さん宅が梅の花に囲まれて見えた。早速シャッターを押した。


 しかし、町並みは今風な建物となっており街道筋を偲ばせる風情は宿場内には無いようだった。街道を先に進むと左手に珍しい鐘付き山門がある浄光院が現れる。その向かい側には行泉寺がある。


 間々田宿を後にして街道だった国道4号線を進んでいくがこれといって見るものもなく、もくもくと歩くことになる。暫くすると交差点の左手に白壁の蔵が見えてくる。何かと思いつつ近づくと西堀酒造という酒蔵だった。若盛という日本酒が有名らしいが門外不出と書いてあったので、持ち出し禁止=飲み干していく=飲酒運転の勧め?などと暇にまかせて考えてしまった。


 その先に進むと左手に大橋訥庵という宇都宮藩の尊譲思想家で江戸・伝馬町にご厄介になった人の旧居跡が現れる。宇都宮藩の有名人だった?・・・・のかも。その後は何もなく街道を歩き、栗宮のY字路で国道4号線と別れ直進して進んでいくと、右手に大きな白壁の門付きの屋敷が現れる。新井さん宅だった。野木宿にもこのような造りの家があったなと思いつつ、シャッターを押す。急ぎ足で歩いたが、小山宿に入る前に街道はついに夕闇に覆われてしまった。国道50号線との立体交差を潜るとその先は小山宿だ。



(11野木宿) (13小山宿)

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