05:粕壁宿(かすかべ)
・人口3701人、家数773軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒
・粕壁はその昔、春日部氏という武将がいたことから発したものと分かり、昭和19年に春日部に改められた
・宿場の東側に古利根川が流れており鎌倉・室町時代には船の発着場があった

 粕壁---小渕一里塚---観音院---堤根道標---杉戸 6.0km
 2005年11月5日、6日





 16時00分、宿場内に入ると右手に、東陽寺があらわれる。確証はないが芭蕉が寺に泊まったと言い伝えられているとのことである。その先の左手には本陣跡があるはずなので探したが見つからない。ガイドブックの本陣跡の指示に相当すると思われるビクター毛糸の看板のある店に入って聞いてみると、70才代のお年寄り夫婦が店をやっていたが、二人とも「本陣については知らない。裏庭に大きな松の木があるが、昔は旅館だったということを聞いていた」という答えだった。あきらめてお礼をいって店を出てきた。以前にも学生が調査に来たといっていたので、市の教育委員会あたりが文化財として調査し、標示してくれることを期待したい。


 次に古利根川沿いにあった碇神社を訪ねた。鎌倉・室町時代には上下する船の発着場があった所で、今もよく手入れされていた。宿場内探訪は今日のところは終わりとして予約してある旅籠にむかった。がしかし、駅からの道が旅籠の地図とあわないので焦った。通り掛かった人に聞いたら駅の反対側(西側)だといわれた。なるほどと、自分の軽率さを恥じ入るしだいだった。宿場であった繁華街から駅の反対側のへと移動し、ビジネスホテル藤屋にたどり着く。17時丁度だった。風呂で汗を流し、中華料理屋に入ってチンジャオロースと生ビールで明日の鋭気を養う。隣の席には同窓会に来たというおばさん達がこれから幸手に帰るといっていたので妙に親近感がわいた。


 翌朝8時20分、旅籠を出て宿場内の街道に戻り杉戸宿に向かって進む。宿場の北側には白壁が美しい田村家がある。その前には「東 江戸」「西南 いわつき」と刻まれた天保5年の道標が健在だ。街道の反対側の路地には山中先手観音堂がある。その先の街道の右手には日光街(海)道から日光道中に改称された謂われなどが解説してある。それによると1716年のおふれで「日光街道は海のない国を通るため、日光道中とあらためられた」とのことである。これを読んで「ああ、そうなのか」と私は納得した。


 街道を進むと右手に橋が見えたので、左手に山田商店らしき建物が見えないが無くなったのだろうと判断して、右手の橋に向かった。橋から宿場を見ると昔ながらの白壁の蔵がいくつも見えて、回船のための倉庫だったんだろうなと当時が偲ばれた。橋の手前にトイレがあったので用を足してから古利根川公園橋を渡ると、その先がガイドブックの地図とあわないので「あれ!」と驚いた。しょうがなく、左手の路地に進んでいくと、その先のT字路で右手からDパックを背負ったお年寄りの二人連れが歩いて来て左折するのが見えた。「あれ?、あっ橋が違ったのだ!ガイドブックにはのっていない新しい橋を渡ってしまったのだ」と気づき、新町橋を渡って宿場にもどり、歩き直すことにする(このとき通りすぎた二人に間違いを指摘されたことになりますので、どこの方かは存じませんが感謝します。また、ガイドブックの地図が古いことを改めて実感させられた)。


 その昔、油屋の屋号の店があったあたりの太陽生命前の粕壁宿の塔、その先の古風な造りの永嶋庄兵衛商店、そして街道が右手に曲がる角にあり、幕末に建てられたといわれる朱色の壁の山田商店などがある。そして、今度こそ間違いなく新町橋を渡り古利根川沿いの宿場を後にする。


 橋を渡った先で斜め左に進み、暫く歩くと左手に小淵一里塚跡碑が現れる。その先には「左 日光道」と刻まれた道標がある。やがて街道は国道4号線と合流する。


 暫く進むと左手に朱色の欄干のある観音院が現れる。境内には「ものいへば唇寒し秋の風」という芭蕉の句碑がある。このあたりの国道では歩道の拡幅工事が現在進められており、随分と広くて歩きやすくなったと実感する。東北自動車道という高速ができたので国道の利用が減り、その恩いで歩道が広くなるのは嬉しいが、しかし、歩行者のためにやっている訳ではないだろうな、などと余計なことまで考えてしまう。なにしろ、時間があるもので・・・・・。


 そうこうしていると、大きな地球儀が現れる。「すきすきすぎーと36」というパーキングで、北緯36度線上にここが位置しているからとのことである。また「この地は杉林が多かったことから、いつしか『杉の渡』と言われ、それが『杉戸』になった」と地名の由来が解説してあった。


 北に向かって進む街道は宮代町のY字路で左に入り、国道と分かれる。その先に進むと中程の左手に庚申塔と一体となった道標がある。「右 日光」「左 江戸」と刻まれている。この向かいに立場があったとのことだ。再び国道と合流して進んでいくと東京から40kmの標識がある。その先に進むとY字路が現れる。ここを左手に進み、国道と分かれて暫く歩くと杉戸宿だ。



(04越ヶ谷宿) (06杉戸宿)

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