15:小金井宿(こがねい)
・人口767人、家数165軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠43軒
・宿の西にあった池から黄金がとれたの伝えから小金井村と言われ宿名となった
・宿駅となったのは遅く(1681年)、宿内は日光側を上として上中下の3構成

 小金井---うどん屋---笹原---352号線交差点---石橋 5.7km
 2006年5月3日、11月24日





 15時55分、国道4号線を進んでいくと右手に白壁の蔵と連子格子の家が現れる。街道筋の面影が残っているなと感じる。街道の向かい側・左手には大谷石の塀と古びた門のある家がある。ここが本陣跡の大越さん宅だ。立て札や掲示板などがあるわけではないのでうっかりすると見過ごしてしまうので要注意だ。宿場内は国道4号線の両側に民家があるが往時を偲ばせるものはこの近辺にあるのみだ。街道をさらに進んでいくと、右手奥に蓮行寺が現れる。


 このように書くと順調に宿場内を見学したようだが、実はそうではないのだ。当初、古びた門を見ても本陣跡とは思わずに、それには目もくれずに本陣跡を探して先に進み、蓮行寺まで進んでしまった。ここで本陣跡を通過してしまったことを知り、街道近くの家のおばあさんに本陣跡をたずねたら、だいぶ戻った自転車屋の先だと教えてくれた。戻って見ると、かねこ自転車屋の先とは、白壁の蔵の前にある古びた門のある所だった。とんだくたびれ儲けをしてしまったのだ。悔しいが仕方がない。これも旅の面白いところだ。


 さて、街道歩きの困難は再び起きる。小金井宿を後にして暫く進むと、国道4号線と分かれて斜め左の道に進むのだが、この道が無いのだ。で、そのまま暫く国道を歩いているとやがて、左手のパチンコ屋のその先に道らしきものが見えてくる。たぶんあれが街道だろうと左手に入る道を探して進むと、手打ちうどん・田舎やが現れ、その庭先が街道に続いていたのでここから街道に戻る。振り返って見ると街道は手前の駐車場の所で行き止まりになっているようだ。畑の中の田舎道として残っている街道はほぼまっすぐに北に伸びている。


 (11月24日、駐車場の所で街道は行き止まりになっていないとの情報があったので早速現地に駆けつけた。たまたま「五街道ウォーク」さんのホームページを見ていたら、そのことが書かれていたのだ。パチンコ・クイーンの200m位手前で、左手の道に入り、消火栓の看板がある箇所で右手の土の道に入る。草の生えた農道のようなこの道が街道なのだ。舗装はされてないがちゃんと街道を残している地元の皆さんに感謝だ。)


 (草の生えた街道を100m位進んでいくと、パチンコ・クイーンの裏庭が現れる。道は舗装され左手は駐車場となっている。しかし、クイーンの裏には黒い大きな犬が飼われていて、通行人を見つけると吠えまくる。一瞬ビ゙ビルが檻に入れられているので一安心、うるさいのを我慢して通過し、北に伸びたまっすぐな街道を進んでいく。ところで、先程右折した消火栓の看板のある反対側にも街道のなごりの道が30m位あり、歩いて行くとNTTの中継所前で消滅し、その先は水田となっている。したがって、パチンコ・クイーンの200m位手前で左手に入るこのルートが現代の日光街道の歩き方のようである。)


 暫く歩いていると右手の国道には松並木があるように見えたので、休憩地点で国道に行ってみたら、国道横が松林になっているだけだった。なるほどと納得して街道に戻る。ガイドブックによるならば、この付近に一里塚があったようなのだが見当たらなかった。隣の草原では近所の子供達が遊んでいる。街道はやがて建設機材の駐車場に突き当たって消失、行き止まりなので右折して国道に出る。


 ここからは退屈な国道歩きとなる。が、そうではない。先に述べた下石橋の一里塚は、国立公文書館の日光道中絵図によるならば橋の手前側に図示されているので、どうやら石橋消防所横の小川のすこし手前側にあったようであるが街道が消失しているので不明だ。街道の右手の塚が発見されたという話もあるようだが不確かなようである。暫く進んでいくと、左手の墓地の入り口に国道に背を向けた石仏群がある。その前の道が旧街道ではないかと言われている道だ。ここで国道と合流し、国道352号線との立体交差を過ぎる。それから更に進み大通りと交差する本町交差点を過ぎるとその先は石橋宿だ。今日の旅はここまでにして、JR石橋駅から宇都宮の旅籠に向かうことにする。なお石橋駅に向かって進んでいくと右手にビジネスホテルがあった。がいまさら変更も出来ないのであきらめて宇都宮駅に向かった。また、石橋駅には変わった時計塔があった。



(14新田宿) (16石橋宿)

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