17:雀宮宿(すずめのみや)
・人口268人、家数72軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒
・日光街道が開けてから街道に移り住み鎮守の雀宮神社があることから雀宮宿となる
・日光側より上、中、下の三町で構成され中町に本陣が置かれていた

 雀宮---駐屯地---バス亭一里---宇都宮 7.9km
 2006年5月4日





 11時10分、宿場内中頃まで進むと左手に正光寺がある。その昔は地福院と称されていた寺である。宿場内を先に進むと左手に本陣跡の大和田内科胃腸科医院が現れる。医院の看板下に本陣跡碑があったのだが見落としてしまった。横向きの碑は写っているのだが残念!その先に進むと右手に白壁の長屋門が見えてくる。脇本陣だった芦谷さん宅だ。立派な門内には、玄関も残っているようだ。しかし、これといった解説がないのでやや寂しい感じがする。


 脇本陣を後にして進んでいくと右手に雀宮神社が現れる。995年に奥州に流され亡くなった藤原実方の霊が雀となって都に帰ったことから名付けられたとの伝説があるが、その他にも諸説が幾つもあるという。なお、この神社の前には東京まで100kmとの道標がある。


 さらに進むと雀宮宿を後にして単調な国道歩きとなる。これといって見るものもなくもくもくと歩くと、左手に再び自衛隊の基地が現れる。ここには駐屯地と航空学校とがあるようだが、あまり近づくと怪しまれるのではないかと心配になり、やや遠くから正門をカメラに納めた。案の定、文字は読めなかった。


 基地を後にして暫く街道を進むと、一里というバス亭が現れる。ここはその当時に一里塚があった所で、その名残がバス亭の名として残っているとのことだ。国道4号線を進んでいくとやがてY字路が現れるが、ここを直進して進み、国道4号線と分かれる。その先に進むと左手に富士重工の工場があり、風力発電機が見えるが回ってはいなかった。


 街道を更に進んでいくと、JR日光線を立体交差の橋で渡る。その先に進むと正面に祠があるY字路が現れる。ここから先は宇都宮宿だ。



(16石橋宿) (18宇都宮宿)

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