51:文知摺観音(もちずりかんのん)
・文知摺石のある文知摺観音を訪ねるのは紅葉の季節がもっともいい

 福島---岩谷下---文知摺観音 5.7km
 2008年11月10日





 11月10日、文知摺石を見学するために駅まえからバスに乗り、文知摺観音近くのバス停・山口までいく。寺の入り口の右手には芭蕉の像と「奥の細道」につづった文知摺石の一文が刻まれた石碑がある。拝観料400円を払って中に入る。色づきはじめた紅葉の中に芭蕉の句碑が現れる。「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」という名句を刻んだもので寛政6年の建立だ。


 その奥には文知摺石が石杭に囲まれて保存されている。文知摺とは古代の信夫の特産品で、草木汁で乱れた菱形文様を染めた絹布のことである。その文知摺につかわれていたのが綾形石である。その隣の鏡石(文知摺石)は文知摺染めには関係しないようだ。


 陸奥国の按察使である源融公は長者の娘・虎女と恋仲になったが、再会を約して都に帰ってしまった。悲嘆の虎女が観音さまに願をかけ、お参りしたときに文知摺の石の面に融公の面影が浮かんでみえたという。その後虎女は病で床についてしまった。源融公は「みちのくの 忍ぶもちずりたれゆえに みだれそめにし我ならなくに」と詠んで虎女のもとに送ったと云われている。このときの文知摺の石とは鏡石をさしていると解説されている。というこで文知摺石というと鏡石と綾形石の両方を指すようである。


 境内の奥には、その他にも、正岡子規の句碑や源融と虎女の墓、多宝塔などがあるが、さらにそれらを色づいた紅葉が包み込んでいる。ここにいると芭蕉ではないが一句浮かびそうにな気分になる。


 なお、境内の左手には傅光閣という美術館がある。芭蕉直筆の句が掛け軸になって展示されており、達筆な文は一見の価値がある。原句は「早苗つかむ手もとや昔志のぶ摺」というものだったという解説が付いている。館内では無料のお茶のサービスがあり、見学に来ていたおばさん達と談笑していたら、館長らしい方から文知摺石の話があった。また文知摺染めを再現したサンプルも見せてもらったが、カメラに撮ることは断られてしまった。まだ公表はしないようだ。


 ということで芭蕉に釣られて寄り道したが、見応えのある文知摺観音だった。しかし交通の便は良くない。行きは丁度バスがあったが、帰りはうまく合わず、岩谷下まで歩くことになった。なお、芭蕉達は岩谷下へは向かわずに、もっと北にある月の輪の渡しで阿武隈川を越えて瀬上宿に向かったようである。



(43仙台宿) (52本陣/検段屋敷跡)

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