01:白河(しらかわ)宿
・昔は向寺の切り通しの上を越えていた
・女石には仙台藩士戊辰戦没之碑と遊女志げ女の碑がある
・日向山には娘道成寺で知られる安珍の墓がある

 白河---女石---大清水---根田 3.9km
 2008年5月4日、2009年9月24日





 2008年5月4日、9時30分に白河駅前に立つ。今日から、いよいよ本格的な北国への旅立ちだ。そんな意味を込めて白河駅をカメラに納めてから、奥州道中の終端の手前、阿武隈川を渡る田町大橋にでる。東の彼方には雪を被った山々が見え、いかにも東北だという感じがする。橋を渡って進んでいくと右手には信夫屋という旅籠が現れる。このあたりから緩い坂道となり、切り通しとなる。


 切り通しを進んでいくと右手に階段が現れる。階段の上にはお地蔵さまや石碑が並んでいる。これは、切り通しを開いた時に街道にあった地蔵さまや石碑を往時の位置に残したもので、街道が山腹を通過していたこと示すものとのことだ。(2009年9月24日)


 切り通しを通過して暫く進むと女石のY字路が現れる。右が仙台道、直進が会津街道だが、この分岐点の左手に仙台藩士戊辰戦没之碑がある。白河口の激戦で戦死した仙台藩士150余名の屍を集めて埋葬したとのことで、枝垂れ桜の木の下に戦死供養塔がある。白河市の南に会津藩士の供養塔、北に仙台藩士の供養塔と配置されているようだ。


 仙台藩士の戦没の碑を後にしてY字路を右に150m位進むと、街道の右手に遊女志げ女の碑が現れる。長州藩士・奥州鎮撫参謀世良修蔵が白河の坂田屋でこの志げと遊んでいたが、危険を察して逃げてしまったことから会津藩士は志げを殺害した。これを知った坂田屋の下男が会津藩士をこの地で殺害して仇を討ったとのことである。戊辰戦争をめぐっていろいろなことがあったのだなと感嘆する。その横には山吹が今を盛りと咲いている。合掌。


 暫く進むと街道は国道4号線と合流する。やがてY字路が現れ、街道は左手に入り国道と分かれる。暫く進むと左にまっすぐに伸びた農道が現れ、その先には歌舞伎・娘道成寺で知られる安珍の墓があるので尋ねてみる。途中、農家の方に確認したら東北自動車道のトンネルを潜った先にあると教えてくれた。安珍の墓にある解説によるならば、安珍は地元根田村出身の僧であったとのことで、物語は紀伊の国のことなので随分遠い所の話なのだなと感じた。多分、遺体は埋葬されていない墓なのだろう。


 再び街道に戻ろうと来た道を歩いていくと、先程の農家の方が夫婦で休んでいて、「安珍さんのお墓を見たなら、根田にいって安珍像を祀っている安珍堂を見るといい」と勧めてくれた。お礼を言って分かれたが街道から離れているようなので心の中では保留にして、先を急いだ。街道は国道4号線を横断して右手に進み高橋川を渡る。その先は根田宿だ。



(仙台道) (02根田宿)

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