02:根田(ねだ)宿
・根田醤油合名会社の建物だけが往時の風情を残している
・左手の宿場外れに安珍像祀った安珍堂がある
・街道は国道の切り通しで寸断され途中消失している

 根田---北街道端---池ノ上---古道---小田川 2.9km
 2008年5月4日、2009年9月24日





 街道はT字路を右に曲がり、根田宿に入る。右手には簡易郵便局も兼ねている根田醤油合名会社の大きな建物が現れる。宿場内は整然と民家が並び街道筋の面影はない。戊辰戦争で宿場が焼け、江戸時代のものが消失してしまったとのことだ。操業以来200余年という醤油会社の建物に微かに往時の面影が残っている感じだ。


 宿場内を進んでいくと左手の民家の向こうにお堂の様なものが見えたので、安珍堂を思い出す。せっかくだから見ていくかと街道を戻り、先程のT字路を左手に進み国道4号線を横断し、右手の階段を登っていくとそこに安珍堂が現れる。中を覗くと小さな像が祀ってあった。この像は紀伊の国(和歌山県)から移されたものだと農家の方がいっていたのを思いだす。宿場に戻り先に進んでいく。宿場の端で橋を渡り、その先を左に進むと右手に村のお寺である石雲寺が現れる。


 寺を後にして街道を進んでいくと、やがて国道4号線と合流する。国道の左手には歩道とは別に街道跡が一段高い位置に残っている。300m位進むとY字路が現れ、左に進む。道端にはタンポポの黄色があふれており春満開だ。


 左手の愛宕神社から200m位先に進むとY字路が現れる。ここを右手に進むのが街道なのだが、右手の畑で野良作業をしている婦人が二人いたので「昔の街道は右手を進めばいいんですかね」と尋ねると、若い女性の方が「奥州街道は真っ直ぐの道です」と言ったので、「あれ、右じゃないのか」と思っていたら、年寄りの方が「昔の奥州街道は右の道ですよ。でも国道ができて、途中で無くなってしまったんですよ」と教えてくれた。お礼を言って右手の道を進んでいくと小学校の先で農道となり、更に進むと雑草が繁る廃道となり、その先では国道上の崖となって寸断されていた。なお、左手の道は旧国道だった。


 国道4号線にでて見ると、街道の通っていた当たりは切り通しの崖になっている。街道は崖の上を通過して右手の崖の上を通って子八清水に下っていたようだ。逆から登って確認するには時間かかるので国道を先に進むことにする。


 国道4号線の坂を下ってくるとオートショップ山口の前の右手に街道跡と思われる箇所が現れる。両側に木立が並ぶ廃道の雰囲気の中を進んでいくとやがて道の気配がなくなる。そこは切り通しの壁が近くに迫っている所なので、どうやら街道は切り通しを開くときに山と一緒に消えてしまったようだ。街道はオートショップの前で左手からの旧国道と合流して現国道を斜めに横断し、右下の街道跡に続いていたようだ。(2009年9月24日)


 国道4号線を700m位進むと右手に街道が見えてくるので、左手の歩道から右手の街道に移る。街道の土手にはタンポポがあふれている。タンポポをよく見ると関東地方ではあまり見なくなった日本タンポポの群生だった。日本タンポポが頑張っていることに感嘆する。街道を200m程進むと再び国道と合流するが、合流地点の信号を横断して国道と分かれて左手に進むと、その先は小田川宿だ。



(01白河宿) (03小田川宿)

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