21:二本松(にほんまつ)宿
・少年隊の墓、城跡、箕輪門、大手門跡などが往時を偲ばせる
・二本松では少年隊も戊辰戦争に参画し多くの犠牲者を出した
・高村智恵子の生家がある地域では正午の合図に智恵子抄が流れるのには驚いた

 二本松---亀谷坂---竹田---八軒町---二本柳 5.6km
 2008年6月7日、8日





 若宮1丁目の交差点を左手に進み、二本松少年隊の墓のある大隣寺を見学する。1868年7月29日、12歳から17歳で結成された少年隊25名が官軍を大壇口で迎え討ったが多勢に無勢で敗北。14名が戦死したという。ここで初めて二本松少年隊の存在を知ったが会津の白虎隊よりも実戦を戦ったと言う意味では勇敢だったのだなと感心した。


 この寺には、その他に会津藩、仙台藩の戊辰役供養塔や、二本松歴代藩主丹羽公の墓所、陰墓という側室の墓などがある。また、大隣寺の向かいの休憩所のベランダには等身大の少年隊の人形が据えられている。


 若宮1丁目の交差点に戻るころには雨も止んできた。交差点を右折し宿場内を進む。現代的な家並みが続き街道筋の面影はない。やがて曲尺手を右手に進み暫く進むと二本松駅前にでる。18時6分、今日の旅籠、駅前の大宗旅館に到着。以前はもっと駅近くにあったが、何年か前に今の地に移動したとのことだった。大きなお風呂と夕飯のおかわり自由というのが気楽で良かった。


 6月8日8時30分出発。宿場内見学としてまずは二本松神社をカメラに納める。その先に進むと玉嶋屋、洗心亭という往時を偲ばせるお菓子屋が現れる。その横の道を登っていくと大手門跡があり石垣が左右に残っている。


 坂の頂上で左折して、どんどん進んでいくとやがて霞ヶ城公園に入り、石垣だけが残っている霞ヶ城本丸址にたどり着く。ここからは市街が一望できる。


 公園内には相生の滝とか再建された重厚な箕輪門、少年隊の像などがある。また、近くには大きな石に藩士達への戒めを刻んだ戒石銘碑などがある。


 なお、この箕輪門前の通りは宿場内を通過するようになる以前の古街道が通っていたルートと云われており、日本の道百選にも選ばれている評判の道とのことだ。以上で宿場内見学を終え、老舗のお菓子屋さんの所まで戻って、街道を進むことにする。


 宿場内進み、曲尺手を通過した先の酒屋で本陣について伺ったところ「知らない」とおじいさん、おばあさんがいっていた。二本松には存在しなかったようだ・・・。街道はやがて左折して亀谷坂を登る。しかし、芭蕉はここを直進していると思う。鬼婆伝説の安達ヶ原を訪ねているので、ここを左折しないで進み阿武隈川を渡って安達ヶ原に出たようだ。鬼の岩屋も見てみたいがかなり遠回りになるので私は諦めて亀谷坂を登る。


 この亀谷坂の途中に鏡石寺があり、徳川家康の廟所がある。これはここを通過する仙台藩の参勤交代の行列が、以前の畠山氏への恨みから丹羽氏に変わっても城の方向に鉄砲を向けて通過したことに対する対策として移設したものだ。それからは仙台藩の嫌がらせはなくなったと云われている。


 坂道登り切り、下っていくと竹田地区に入る。竹田見附ポケットパークでトイレ休憩して右折して進む。その先の左手には二本松藩の御用蔵が二棟ある。蔵の裏手を流れる鯉川を通じて年貢米等が運ばれていたのだ。今はだいぶ川の水位が下がっているが。街道を進んでいくと右手の山口屋酒店の交差点が曲尺手になっており、左折し鯉川を渡った先で右折する。


 二本松宿を後にして街道を暫く進むと八軒町の左手に高村智恵子の生家である造り酒屋が現れる。裏手には智恵子記念館があるが時間がないので入館しないで先に進むことにする。なお、街道の右手には高村光太郎と智恵子が散策した山が公園として整備されている。


 暫く進むと福岡集落に入るが、ここでは消防設備を運転して設備の点検をしている様子だった。街道は突き当たりを右折し、その先で左折するのだ。


 街道を進んでいくと民家が切れて田圃の道となる。左手には田圃が広がり遠くには安達太良山?が見える癒される景色だ。のんびり歩いていると、「東京の空、灰色の空~」という懐かしい「智恵子抄」のメロディーが聞こえてきた。時計を見ると正午だった。どうやらここでは「智恵子抄」のメロディーが正午のお知らせらしい。面白いな~と感心した。街道は由井町、新田町と進み、次の宿場である二本柳宿へと入る。



(20杉田宿) (22二本柳宿)

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