04:太田川(おおたがわ)宿
・宿場の入り口に武光地蔵がある
・宿場は戊辰戦争で全焼したので街道筋の面影が残っていない
・四ツ屋前の先に街道が未舗装状態で残っている
太田川---四ツ屋前---新池---踏瀬 2.2km
2008年5月4日
左手の雑木林の中に赤い前掛けをした大きな座り地蔵が現れる。これが武光地蔵と言われるお地蔵さまだ。江戸時代、この地を訪れた井原西鶴が「夜毎に火焔を発して恐れられていたが、飛脚が袈裟掛けに斬ると何事もなくなった」との伝承を記したのが、この武光地蔵のことだと言われている。 |
しかし、地元の旧検断屋敷のご主人は、「西鶴が言及したのは首切り地蔵のことで、それはあのお地蔵様ではなく手前にある武光供養碑(板碑)だと思う」と言っているとガイドブックに紹介されている。確かにその石の上部は袈裟掛けに切ったような形状になっているが・・・・。今となっては分からないなと複雑な気分でカメラに納めて武光地蔵を後にして街道を進む。すると、武光地蔵の少し先で、街道右手に腰を下ろせる倒木があったので一休み。近くにある大きな木から白い花がひらひらと落ちてきた。 |
武光地蔵から少し歩くと太田川宿に入る。宿場内を進んでいくと、左手に旧検段屋敷?と思われる大きな屋敷の家が現れる。その先の左手奥に常願寺が現れる。民家が整然と並んでいる宿場内には残念だが街道筋の面影はない。戊辰戦争で宿場は全焼してしまったとのことである。街道はやがてT字路の突き当たりとなり右手に進む。150m位先でY字路が現れるので左手に進み宿場を後にする。 |
緩い坂道を登っていくと左手に道祖神のような石板碑郡が現れる。その先に進むと街道は平坦な道となり満開の八重桜に歓迎された旅となる。左手の池では若者が釣りをしている。 |
やがて街道は四ツ屋前の下り坂の手前で左手の小道に入る。ここは街道がそのまま未舗装道路として残っている箇所だ。丁度時間もいいころなので、街道の風情を残しているこの場所で昼飯にすることにして、板切れを拾ってきて腰を降ろす。定番のおにぎりを頬張りお茶を飲む。休憩中に誰か通るかなと思っていたら、車も人も通らなかった・・・ちょっと寂しい。 |
さて、エネルギーをチャージして出発進行だ。街道の坂道を下っていくと、やがて舗装された道と合流するが、その先の左手には新池という大きな池があり、推定200年以上と言われる松の木が並んでいる。池の横を通過して暫く進んでいくと国道四号線と交差する。国道を横断して100m位進むと街道は左にカーブする。その先は踏瀬宿だ。 |