36:大河原(おおがわら)宿
・門構えやなまこ壁の蔵のある旧家がいくつもあり街道筋の面影が残っている
・韮神橋横の石碑群案内板には街道に縁がある藤原実方、芭蕉などが登場する
・「一目千本桜」といわれる白石川の桜並木は萌える若葉の季節もまたいい

 大河原---桜町郵便局---韮神橋---ジャスコ裏---船迫 4.7km
 2009年5月3日、4日、2009年9月25日





 宿場の西の入口の右手には如意輪観音堂がある。ここの境内は、往時には白石川の渡し舟が近くにあったので旅人の小休所となっていた。また街道には茶店や旅籠が軒を並べて賑わっていたと案内板に解説されている。


 宿場内を進んでいくと左手に門構えとなまこ壁の蔵のある綺麗に手入れされた旧家が現れる。その先にも蔵屋敷が現れる。また、右手にも立派な門構えのあるなまこ壁の蔵屋敷が現れる。が、そこは学習塾になっているようだ。現代風な家並が続くなかで上町側には往時の面影を残している旧家が幾つもあるのが楽しい。


 宿場内を進んでいくと宿場の中央部には交差点があり、右手100m先には白石川が見えるのだが時間が無くなってきているので、断念して前に進むことにする。暫く宿場内を進んでいくと左手に小学校が現れる。そこで左折して進み、その先で右折する。ここは曲尺手となっているのだ。


 右折して100m位進んでいくとY字路となる。街道は斜め右手にいくのが正しいように思えるのだが、ガイドブックの地図どおり、さらに100m位進んでから右折し、6差路を斜め左に進みミニストップ前を通過。白石川が街道の直ぐ横(50m位先)まで迫ってきている。


 往時は松並木があったというが、今はその名残さえも無い直線的な街道を進んでいく。途中郵便局前を通過する。やがて荒川に突き当たり、その土手に登る。往時にはその先ににらかみ橋が架かっていたとのことなので、土手を降りて街道を進み対岸を見てみたが橋の後は見つからなかった。対岸を見ると道が確認できたのでここら辺りに橋があったのだろうなという確認をしてみる。


 土手にもどり現代の韮神橋を目指して進む。韮神橋を渡り国道四号線を横断すると、山裾に観音像と石碑群が現れる。案内板によるならば、白石川に面するこの韮神山は奇岩怪岩の山で、その景観は昔からここを通る多くの人たちの旅情をなぐさめたとのことである。しかし、今は道路工事で景観は失われ、コンクリートの奇山となってしまっている。


 また頼朝軍との攻防となった文治の役の古戦場でもあると記されいる。さらに、1689年の初夏の頃、芭蕉一行がこの韮神山の下を通り抜けていったことから、「鶯の笠おとしたる椿かな」の句碑がある。また、平安時代には藤原実方がこの近辺にあったを憚りの関を通過していったことから、「やすらわでおもい立にしみちのくにありけるものを憚りの関」の句碑もある。国道の整備で街道と景観は消失してしまったが、建設省の立てた石碑群をみて往時を偲ぶ。


 荒川の反対側に回り往時の橋の跡を探してみると、何と橋脚が川中にも川岸にも残っていた。橋は大河原宿からの街道よりも少し東側の位置にあったようだ。橋の袂の街道は丸く膨らんだ道となっている。近くには史跡韮神山遺跡群の案内板があり国道四号線バイパス工事により遺跡を国道脇に移したと記されているので、以前はこの地にあったようだ。街道は暫く進むと国道四号線に合流し、コンクリートの奇怪な山となった韮神山の下を通過する。(2009年9月25日)


 街道を先に進むと橋の所から国道四号線の左側に街道が残っているのでそこを歩く。500m位で街道は国道を横断した先で左折して進む。パチンコ屋やJUSCOの裏側を通過して進む。しかし、18時前となってしまったので印刷屋の所までとして右折し、川向こうの旅籠(ホテル原田)に向かうことにした。途中、地図上の細かな路地がよく見えず、方向が分からなくなりGPS地図を取り出して川岸にたどり着く事態となってしまった。白石川に架かる橋を渡り船岡駅前に出ると目の前に旅籠があった。


 5月4日8時20分、ホテル原田を出立し、日本家屋のような船岡駅中を通過して船迫宿に向かうことにする。船岡駅側には伊達騒動で有名な原田甲斐が城主であった船岡城や、なまこ壁の蕎麦屋などがあるのだが時間がないので省略。白石川の橋を進むと「一目千本桜」といわれている桜並木は葉桜に変わり若葉が美しく萌えている。それをデジカメに納めてから対岸に戻る。前日の印刷屋の前である西船迫1丁目で右折し、その先で国道四号線を横断して進むと、その先は船迫宿だ。



(35金ケ瀬宿) (37船迫宿)

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