20:杉田(すぎた)宿
・本来は南杉田宿と北杉田宿とに分かれていた
・宿場内の家並みは現代的だが、それぞれに旧家が残っている
・七夜桜の歌碑の先に草道となって街道が残っている

 南杉田---北杉田---七夜桜歌碑---木登り地蔵尊---二本松 4.6km
 2008年6月7日





 民家が並ぶ街道を進んでいくと左手に八幡神社入口の標識が現れる。ここから杉田川までが南杉田宿だ。街道筋の面影は残っていないが、宿場内の右手には旧家と思われる門構えの屋敷がある。杉田川を越える橋は往時は現在よりも左側にあったのだが、その跡は定かには残っていない。


 橋を渡り、東北本線の踏み切りを越えて、右手カーブする街道を進む。カーブの先には北杉田宿の木戸があったとのことだ。ここから北杉田の宿場内となる。現代的な家並みの中を進んでいくと左手に長い塀に囲まれた旧家が目を引く。名主だった市川家の屋敷だ。その他に街道筋の面影もなく緩い登り坂を進んでいく。街道は右手の交番の所で左折し、ガードの手前で右折して進むが新、旧の国道四号線で分断行き止まりとなる。街道はそこを斜めに進み七夜坂と呼ばれていたとのことだ。


 戻って国道四号線のガード下を潜り、その先で右折して国道の脇道を進んでいく。街道は、国道四号線脇道から旧国道の脇道を進み、ミラーの立っている所で左手の坂を登っていく。この部分は七夜坂の名残りのようだ。


 登り切ったところで草道となるがその先に七夜桜の歌碑と案内板、それに桜の木がある。往時の七夜坂が消失してしまったのでこの地に立てたものだ。歌碑には藤原実方の歌が刻まれている。「七夜桜 はるばるここにきたすぎた やがて都へかへる身なれば」 元の歌碑は1826年に立てられたとのことである。八幡太郎義家や水戸光圀公もこの桜の名所に立ち寄ったと解説してある。


 七夜桜をデジカメに納めていると、地元の親子づれの方が北側から来たので尋ねると「通り抜けて旧道にでられますよ」と教えてくれた。ということで、草道となった街道を進んでいくと、エレポートという会社の工場に突き当たる。ここで右手に進み、旧国道にでて左折して進む。


 500m位進むと旧国道は左手にカーブするが街道は直進していく。街道を暫く進んでいくと正法寺町となり、左手に木登り地蔵尊のお堂が現れる。隣の畑で農作業をしていた地元の方に聞くと、お堂の裏手の檜の枝分かれ部分に石の地蔵尊を祀ってあるのが木登り地蔵尊とのことだった。その昔、悪病の流行りや天災を和尚の夢枕にたって知らせたと解説してある。


 やがて街道は国道459号線の高架下を通過し、その先で丘の上に登るのだが、その道は消失しているので階段を登って進む。階段を登り切り、狭い路地となった坂道を下っていくとT字路となるので右折して車道に出て左折。往時は緩やかに右にカーブしていたようだ。この時、天気予報通りに空が泣きだしてきた。ついに降ってきたかと傘を出し雨具を装着する。傘をさしつつ暫く街道を進んでいくとその先は二本松宿だ。



(19本宮宿) (21二本松宿)

ホーム仙台道>杉田宿