23:八丁目(はっちょうのめ)宿
・なまこ壁の家や蔵造りの家など往時の面影がわずかに残っている
・八丁目宿に桜内家という本陣跡があることを後から知った
・六地蔵の道標やその先の細い道など街道の面影も所々にある
・街道から少し外れるが松川事件の現場も訪ねて見る

 八丁目---相馬道追分---浅川踏切---若宮 4.4km
 2008年6月8日





 八丁目宿の由来は境川から八丁目の所に宿場があったからと云われている。また、「酒館、青楼多し、妓娼を置き客を招き、宴にはべらしむ」との記録があるほどの歓楽街だったようだ。宿場に入ると左手に天満宮が現れる。宿場内を先に進むと西光寺の前でめがね橋を渡る。橋の上からでは分からないが、横から見ると石造りの橋であることが解る。1885年(明治18年)に造られたものだ。


 その先で水原川に架かる橋を渡り、宿場内を進んでいくと左手になまこ壁の家が現れる。旅籠なのかなと思って近所の方に聞いたら松隠庵というお茶の教室が開かれている所だとのことだった。街道はT字路を右手に進む。


 民家が並んでいるが、門構えのある白壁の建物なども現れる。街道は再び旧国道に突き当たりT字路となり、ここを左折して進む。T字路の正面のガソリンスタンドは八丁目宿の本陣跡で、スタンドの裏手に桜内家の屋敷があるとのことだ。しかし、そうとは知らずに私は「T字路の所のガソリンスタンド」としてのみデジカメに納めて先に進んでしまった。残念!


 街道は、旧国道と合流して約200m位進み、次に右折する。暫く進んでいくと十字路の右手に相馬道との追分を示す六地蔵の道標がある。石の六角面に地蔵が浮彫されているもので、下には「是従南相馬道」とかと刻まれた、珍しいものだ。街道はここで左折して坂道を登っていく。坂を登り切ると松川町のニュータウンとでもいうべき整然とした住宅地の横の道となる。


 街道は坂道下っていくとのだが、有名な松川事件の現場を見学するため、途中で右折して街道から離れて進む。ニュータウンの横を突き抜ける道路を進み、東北本線を越える陸橋を渡ってから、その先で右折して田圃に降り、線路沿いの農道を進むと、列車が脱線・転覆した事件現場にたどり着く。


 1949年8月17日午前3時9分に、登り列車がここのカーブの先で脱線・転覆し乗務員3人が亡くなったのだ。現在は下り線となっているが当時は単線で登り・下りが共用していたのだ。私が現場の着いたときには先客の3人の家族連れの方がいたので話を伺ったら、殉職した方の家族の方たちだった。「登りの線路脇にある松川の塔は裁判で無罪になった人たちのもので、私たちは行くことはない」といっていたのが印象的だった。機関車が転覆した現場には殉職者の碑が、近くには謀略忘れまじ松川事件の碑がある。


 さらに登りの線路脇にはでっち上げ逮捕に抗して14年間闘い全員無罪をかち取ったことを記念した松川の塔がある。戦後の三大謀略事件と云われ、下山事件、三鷹事件と並んで数えられる松川事件はこんな田舎で起こったのかと一人感慨に耽る。犠牲者のご冥福と真相が明らかにされることを念じて合掌。


 松川事件の現場を後にして農道を進む。農道の左手には線路と川があり渡れないので街道と出会う踏み切りの箇所まで線路の左側を進んでいく。浅川踏切の所で街道にもどり、進んでいく。街道は、やがて旧国道と合流して進むが途中東北本線の手前で右手の脇道に入り、線路下を通過した先で再び合流して進む。福島大学を左手見ながら旧国道の歩道を進んでいくと、道路が右に大きくカーブしているのが見えてくる。いよいよ若宮宿だ。



(22二本柳宿) (24若宮宿)

ホーム仙台道>若宮宿