30:貝田(かいだ)宿
・宿場は北に向かって緩い坂道になっており、戸数60戸前後
・問屋や検段屋敷などがあったが案内板がないので跡が不明だ
・坂上田村麻呂が開いた越河関所跡に下紐の石もあったとはおどろいた

 貝田---貝田駅---下紐の石---越河 2.0km
 2008年11月9日





 庚申塚のある坂道を登って右折すると右手に貝田宿入口の表示板が現れる。以前は表示杭だったがよりインパクトのあるものに変えたようだ。宿場内を進んでいくが家並みには街道筋の面影は残っていない。


 入口から200m位進んだ左手に貝田宿の絵図付きの案内板が現れる。それによると戸数60戸前後で長さが400m強、問屋、検段屋敷、制札場などが風呂沢川の手前側にあったと絵図には示されている。しかし、現場にはその跡形もないのが寂しい。昔を忍ぶ標示杭でも有ると嬉しいのだが。検段屋敷と思われる地点と向かい側にあった旧家をデジカメに納めて先に進む。


 宿場の中間にある風呂沢橋を渡って進んでいくとT字路となり、左手に貝田宿と書かれた表示板が現れる。ここを左折して暫く進んでいくと貝田番所跡の表示板が民家の横に現れる。その先は宿場の端で、最禅寺がある。


 最禅寺の前を通過して貝田宿を後にし、直進している街道を進んでいく。以前は草のはえた農道だったというが今は舗装されている。貝田駅横の駐車場に入り、駅前を通過して国道四号線に合流する。


 国道を暫く進むと右手に下紐の石が現れる。この下紐の石は用明天皇の皇妃・玉世姫がこの石の上でお産の紐を解かれたという伝説から名づけられた。また、坂上田村麻呂が関所を置いたことから下紐の関として歌枕に挙げられ有名になった。江戸時代までは、路傍にあって「石大仏」と呼ばれていた。


 なお、もとは線路の反対側にある越河番所(関所)跡の所を街道が通過しており、その路傍に下紐の石があったのだが鉄道工事、道路工事で、街道の道筋が消滅し今の国道横に移されたようである。さらに数年前は大きな石が3個程あったが今は一つだけになっている。「立かへり 又やへだてんこよいさへ 心もとけぬ下紐の関」と左大将公名に歌われた下紐の石を跡にして国道四号線を進み、高速道路の高架下を潜って暫く下っていくと越河宿に入る。



(29藤田宿) (31越河宿)

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