39:岩沼(いわぬま)宿
・竹駒神社や二木の松、検段屋敷や小野酒造など往時の面影が残っている
・国道四号線から館腰に向かう道は左右が田圃や畑の田舎道でなかなか感じがいい
・笠島塚と呼ばれた館腰の芭蕉句碑と道標は芭蕉を偲ばせてくれる石碑だ

 岩沼---梶橘---道祖神路石碑---岡部医院---増田 8.3km
 2009年5月4日





 街道を進むと目黒商店に突き当たり、そこを右折して進むと旧国道四号に旧六号国道が合流するT字路に出る。しかしこの地点は街道の追分というものではないとのことだ。街道はここを左折して進む。暫く進むと左手のホテル桃幸の前で、右手から合流してくるのが江戸浜街道だということである。相馬(福島)、水戸をへて江戸へと通じていた。


 その先に進むと左手に赤い鳥居の竹駒神社が現れる。さっそく左折して進み境内に入ってみると随分と大きな神社だった。竹駒稲荷の大きな提灯のある門を潜り、さらにその先に進むと立派な本殿が現れる。竹駒神社は陸奥国府を鎮護するために創建された古社で、農業や職人の神として庶民に信仰され、藩の内外から多くの参拝者を集めてきた。当日も参拝する人で賑わっていた。境内入ったついでにトイレを拝借する。


 次に、竹駒神社の近くにある「二木の松」を探して先に進む。神社近くの方に尋ねたら、「地元の生まれではないわからない」という答えが返ってきた。それほど有名では無いのだと自覚し地図をたよりに進んでいくと二本の高い松の木が現れる。「二木の松」(別名、武隈の松)だ。車道の反対側から撮らないと全体が写らないほど大きな松になっていた。千余年前、陸奥の国司として着任した藤原元良が植え、以後能因、西行など多くの歌人に詠まれるようになった。


 1689年6月にこの地を訪れた芭蕉は「桜より松は二木を三月越し」と詠んだ。現存の松は七代目のもので、1862年に植えられたものであると案内板に解説されている。「二木の松」の裏手は公園になっているので、公園内に入って見ると芭蕉句碑の他に、あずまやとトイレが付いている。「これはいい」と早速、あずまやでランチタイムにする。おにぎりを食べお茶を飲んで一休み。芭蕉一行もその辺でたたずんでいたのかなと偲んでみる。


 「二木の松」を後にして宿場内に戻る。交通の要衝である岩沼は仙台藩領内でも大きな宿場として栄え、近世初頭から馬市で賑わった町である。宿場内を進んでいくと右手になまこ壁の蔵のある旧家が現れる。その先に進むと左手に本陣・南町検段屋敷だった八島家の長屋門が現れる。中に入って見ると、その奥に塀があり、「本陣・南町検段屋敷跡(八島家)」の解説付き杭が立っている。


 その先の右手には小野酒造(渡辺家)の蔵屋敷が現れる。代表銘柄の「武隈」の看板が屋根に架かっている。街道を進み小川を渡ると左手に相傳商店が現れる。1821年創業の老舗の造り酒屋だが、酒粕を使った奈良漬けが評判の店だそうだ。街道を更に進み宿場の中心から大分離れた所でも塀と門構えのある旧家が現れる。


 暫く進んでいくと街道は岩沼宿を後にして国道四号線に合流する。国道四号線を500m位進み歩道橋の手前で左手に進む。暫くは街道ぽい道を進むがやがて車道に合流する。


 田圃や畑を左右に見つつ進み、やがて川内沢川という小川を越えるが、その左手に道祖神路と刻まれた大きな石碑とその右手に小さな道標が現れる。道祖神路は三角の石碑でその一面に芭蕉の句、「笠島はいづこ皐月のぬかり道」が刻まれている。この碑は笠島塚または芭蕉塚と言われていたもので1856年に仙台城下の小西利兵衛によって建立された。芭蕉は、平安時代に赴任途中の笠島で亡くなった藤原実方の墓を訪ねようとしたが雨で道がぬかり、陽も暮れてきたので断腸の思いで諦めたことをこの句で現している。


 隣の小さな道標には、正面に「笠嶋道」、側面には「距 愛島村 二十四丁」と刻まれている。西行が訪れたという藤原実方の墓までは約4kmもあるので、チョットの寄り道では済まないなとそぼ降る雨の中、小川の袂で思案したのだろうなと芭蕉に思いがめぐる。当時は愛島村笠島へはここから小川沿いに進んだようだ。なお、ガイドブックにはこの芭蕉の句や道標についてすっぽり抜けている。私はHP「日本紀行」の「奥州街道」を辿っていて知った次第で、著者は何をしていたのだろうと不満ありだ。


 さて、街道をその先に進むと景色は一変して住宅地となる。暫く街道を進んでいくとやがて岡部医院の手前で左折して坂道を登っていくと、その先に東北最大の前方後円墳である雷神山古墳と丸い小塚古墳が現れる。雷神山古墳は長さが168mもあり、400年前後に築かれたようだ。仙台平野一帯を統治した地方豪族の墓だと解説されている。こんな大きな実物の古墳は初めて見たのでその大きさにビックリした。しかし、こんなに立派な墓なら誰々の墓と伝承があっても良さそうなのに、と素人的に考えてしまう。


 雷神山古墳を後にして街道に戻り、暫く進んでいくとやがて東北本線の踏切を渡り、国道四号線に合流して左折する。その先で増田川に架かる橋を渡るとその先は増田宿だ。



(38槻木宿) (40増田宿)

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