25:清水町(しみずまち)宿
・宿場入り口の出雲大神宮と出口の仙台屋跡に宿場の面影が残っている
・旧国道と合流するまでの街道はひっそりしていて歩きやすい
・旧国道と合流してからは歩道を歩くのだが疲れているので結構長く感じる

 清水町---陸橋---共楽公園---師々田---福島 6.3km
 2008年6月8日





 街道が右にカーブする左手に出雲大神宮がある。もともとは2km程西の平石に住んでいた炭焼き藤太の家の氏神として祀っていたものであった。藤太には四人の息子おり、それが金売り吉次ら兄弟で、家は長者屋敷と呼ばれ村人とともに栄えたが、鎌倉幕府による奥州合戦・石名坂の戦いで消失。しかし出雲大神はその後も村人が祭り続け、清水町宿を開いたおりにこの地に移して村の鎮守としたとのことである。


 清水町に入る街道の道筋に愛宕堂があり、その入り口に藤清水という水神の石宮があったことが清水町の由来だと云われている。また、1590年に宿場を造った祭に木の根が多くて難義したため伊達政宗が根子宿と命名したとも伝えられている。なお、愛宕堂の祠は出雲大神宮の境内に移されているとのことだが、鳥居のすぐ後ろに石宮があったがあれが藤清水なのだろうか・・・・。


 現代的な家並みの宿場内を暫く進んでいくと左手に入る道が現れる。街道はここを左折して進む。直ぐの右手に仲興寺がある。街道の左手には、往時は仙台屋という旅籠だった土壁の屋敷があったがそうとは気付かずカメラに残せなかった。残念!


 緩い坂道を登り、自動車学校を右に見ながら街道を進んでいくとやがて国道四号線を越える陸橋を渡る。ラブホテルの横を通過した街道は人気もなくひっそりしている。時間は17時前となり押してきているが、一息ついて最後の頑張りのパワーをつけることにする。道端の縁石に腰を降ろし、お茶を飲み、お菓子などを食べて暫し休憩。エネルギーをチャージしたら、早速出発だ。


 木々に覆われた街道はいつしか共楽公園内の道なっている。やがて街道の左手に拝石の案内が現れる。左手の高台に進んでいくと、拝石とその横に「むかし、信達平野が湖水であった頃、信夫三山、羽黒山などの参拝は湖水を渡ることができず、ここより伏し拝んだといわれる」と説明がある。しかし、湖水だったころ、この地に人が住み信夫三山信仰などしていたのかとツッコミを入れたくなる解説だ。その横の見晴らし台は回りの樹木が成長し過ぎて見晴らしが良くなかった。


 街道にもどり、先に進むと道は急坂の下りとなる。途中、右手にヤマトタケルが舟を繋いだというビッタラ石があるというのだが見当たらなかった。右手の玉石でできた石垣の先にあったようだが、左手の切り通し工事に目を奪われて見逃してしまった。残念! しかしヤマトタケルの時代にこんな地点まで湖水が来ていたの?・・・。


 急坂を下っていくと街道は旧国道と合流する。その分岐点の道標には、街道は1573~1593年間に伊達政宗公により開設されたと記されている。


 旧国道となった街道は家並みが途切れることなく続く。車の騒音の中、信号待ち以外にとまることもなく、もくもくと歩く。国道115号線との交差点には地下道がある。その先には大森川を渡る橋がある。


 街道を暫く進んで行くと荒川(昔は須川と呼称)があり信夫橋が現れる。この橋の袂には奥州街道と土湯方面の分岐を示す道標があった。その道標は、橋の手前で右折した先の福島第一中学校校庭の北側にある。「左 江戸海道」「右 山王土湯道」と刻まれている。街道にもどり右手奥に阿武隈川を眺めつつ信夫橋を渡ると、その先はいよいよ福島宿だ。



(24若宮宿) (26福島宿)

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