33:白石(しろいし)宿
・宿場内の蔵屋敷や武家屋敷、それに白石城と温麺、見るもの食べるものが多い
・世良修蔵の首を福島宿からこの地まで持ってきたのは何故なのだろう
・児捨川伝説・白鳥崇拝は日本武尊がこの地まで来ていたことに由来するものだ

 白石---白石大橋---児捨川橋---一本松---宮 7.1km
 2008年11月9日、2009年5月3日





 シエル・ガソリンスタンドの交差点を右折して白石宿に入る前に、この地点にあった道標が左手の白石中学校前に保存されているので探索して見る。左折して米沢街道を100m位進むと民家の横に東京街道道標と表示杭があり、その横に左を指したマークと「一等道路東京街道」と刻まれた道標が現れる。明治初期のころには奥州街道ではなく東京街道と呼ばれていたことがわかる。また、指差しマークの下には「Main Road For Tokyo」と英文が刻まれている。英文付きの道標はほかにはないらしい。


 先程の交差点にもどり、そのまま進むとやがて信号のある交差点に出る。ここを左折すると白石宿に入る。(暫く進むと曲尺手となっている中町にでる。本町側左手の阿子島ビルは本陣跡とのことだ。)しかし時間は16時11分、秋の陽は短く既に薄暗くなってしまった。残念だが今回のてくてく旅はここまでにして、帰宅することにする。駅前の温麺屋で初めて温麺を食べたがソーメンの様なラーメンの様なで、なかなか美味だ。


 5月3日、10時に白石蔵王駅に着く。駅横の温麺の館で温麺の製造工程などを見学して白石宿の入口まで歩いていく。途中で見える蔵王山の眺めがすばらしい。


 本町大通商店街が白石宿の入口だ。そこを入った直ぐの右手に当信寺が現れる。ここの山門は白石城の東門だったものである。宿場内の家並みはほとんど現代的で昔の面影は残っていないようだ。しかし、本町から中町へ入る箇所は曲尺手となっており街道筋の面影を残している。


 5月3日は商店街のお祭り日で、曲尺手の右手にはすまiる広場があり、演奏会で賑わっている。商店街の右手に旧家の蔵屋敷があったのでその前にいる方に尋ねてみたら、金融業を営んでいたという壽丸屋敷の一部で広場横のなまこ壁の蔵屋敷につながっているのだと説明してくれた。広場横から入って見ると池などもある大きな屋敷だった。


 街道筋でもある中町商店街は神輿や山車のパレードを待つお客さんで混んでいる。その中を進んでいくと左手にも白壁の門構えのある旧家が現れたが、話中だったので詳細を尋ねなかった。長い商店街を進んでいくと神輿、山車などが入って来て大賑わいだ。


 その間をぬって商店街の北端に進むと、歯科医院の裏に亘理町市神がある。往時、城下には商人町毎に市が開かれ、市神が祀られていたことを示すものである。なお、歯科医院とは関係ないので横の駐車場を通過していくとよい。亘理町の交差点を左折して進むと街道の左右に土蔵づくりの店や門構えのある店が現れる。その先の温麺屋はどこも観光客で混んでいる状態だ。


 左手の北城駐車場の先で左折して進み、川沿いに右折すると片倉家中武家屋敷が現れる。中級武家だった小関家の屋敷が保存されている。


 武家屋敷を後にして白石女子高の前を通過して白石城の登って見る。戦国時代は上杉藩の支城だったが、関ヶ原で徳川軍が勝利すると伊達領となり、伊達政宗は重鎮の片倉小十郎を白石に配置した。また、1868年の戊辰戦争の祭には奥羽列藩同盟締結に向けて諸藩の代表が参集した舞台であり、その後の奥羽越公議府が置かれた所でもあった。当日、お城は観光客が大勢きていて賑わっていた。


 お城を後にして街道にもどり、うーめん番所の手前で右折して白石川の土手道にでる。往時は現在の白石大橋の手前に橋があったようだ。白石大橋の歩道を渡る。


 橋の袂で左折して200m程進み、右手の石段を登っていくと奥羽鎮撫総督府下参謀・世良修蔵と従者3人の墓が現れる。奥羽諸藩の嘆願を退け「奥羽皆敵と見て進撃の対策」をとの密書に激怒した仙台藩士たちによって、福島宿の妓楼に宿泊していた一行は斬首され、首は白石の月心院に葬られた。その後、明治3年にこの地に改葬されたとのことである。墓には木戸孝允の献燈がある。また、この地は伊達政宗が白石城を攻めた時に本陣を置いた場所でもある。


 白石大橋に戻る手前で左手に入るのが街道である。直ぐに旧国道にでる。そこから1km強程進むと国道四号線と合流して進む。そこから500m位進むと右手の車道が分かれるので右側の道を進む。この付近は一里檀との地名なのだが一里塚の跡らしきものは見当たらない。


 その先に進むと橋の袂にこけしが付いた児捨川橋が現れる。案内板によるならば、「日本武尊はこの地に王子を残して都に帰京した。村人は王子の偉貌と能力を恐れて王子を川に捨ててしまった。王子は白鳥と化して村々に災いをもたらしたので、村人は悔いて白鳥を祀った」とか、その他の伝説があると説明されている。いろいろ事情もあったのだろうが児捨川とはちょっとドキッとする名前だ。


 その先へと進み国道四号線の下を通過して道路の左手に出ると、深谷地蔵堂があり、その手前の左に鎌先温泉への道標がある。


 国道四号線を進む街道は、やがて国道と東北自動車道とを結んでいるループ状の接合点にさしかかる。歩道は右手に100mも迂回して通過することになっているようだ。歩行者へのしわよせに頭にきたので歩道の無い国道の右端を強引に歩いて進み、その先で迂回から戻ってきた歩道に移る。変化の乏しい国道歩きに飽きつつ歩いているとY字路が現れるので左手に進む、とその先は宮宿だ。



(32斎川宿) (34宮宿)

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