26:福島(ふくしま)宿
・本陣跡、脇本陣跡、大手門跡、福島城跡など探索には事欠かない
・地図付きガイド「福島城下町探訪」は街なか広場で入手するとよい
・文知摺石も訪ねている芭蕉は岩谷観音を見てから向かったのだろうか
・文知摺石のある文知摺観音を訪ねのは紅葉の季節がもっともいい

 福島---岩谷下---松川橋---五反田川---瀬上 6.9km
 2008年6月8日、11月8日、10日





 信夫橋を渡ると橋の袂には柳稲荷が現れる。1684?88年の間の荒川氾濫の祭、流れてきた稲荷の御神体が町を救ったことからここに祀られたとのことだ。街道は柳町に入り右の曲尺手があった。その名残で道が屈曲している。その先の左手にはす桝屋という江戸時代末期からの農村向け雑貨屋の建物がある。街道を進んでいくとその先の荒町には左の曲尺手があったので、やはり道が屈曲している。


 街道を進み中町に入ると左手に蔵造りの旅館、藤金が現れる。明治天皇が東北御巡行のおり同行した木戸孝允が宿泊したと解説してある。その先に進むと街道は国道13号線を地下道で通過するのだが、エスカレータ付きで地下道には展示設備があるという豪華さだった。東京にも無いこの地下道には驚いた。


 地下道を出ると本町になり、その先の十字路の近辺に本陣や脇本陣があったようなのだがと探していたら、街なか広場の脇に本陣跡が当時の絵図で示されていた。しかし、18時25分となってしまったので宿場の探索は次回にすることにした。なお、街なか広場隅の案内の方に本陣跡を聞いたら、市内の旧跡を記した地図付きガイド「福島城下町探訪」を基に説明してくれた。このガイドがあれば宿場内探索は容易だなと次回の探索を楽しみにして福島駅から帰途についた。


 11月8日10時、再び福島駅前に立つ。駅前には芭蕉と曾良の像が立っているので、挨拶がわりにデジカメに納めて、本陣跡に進む。本陣は江戸側から来ると左手、十字路の手前の行政サービスコーナー(ウイズもとまち)から道路とその先の街なか広場までを黒沢本陣の屋敷が占めていたようである。往時はここは十字路ではなく右折のみのL字の道だったのである。そして十字路の正面道路から常陽銀行にかけて脇本陣兼問屋の寺島家があったようだ。これらのことを広場にあった往時の絵図から読み取れる。


 宿場内を先に進んでいくと、日銀福島支店の角には米沢口の案内板がある。ここは米沢街道の追分で上杉藩の参勤交代に使われていたとの説明がある。さらにその先に進むと左手に安斎ビルが現れる。ここはもう一つの脇本陣だった安斎家の跡である。


 宿場内を進み十字路を渡った先にふれあい歴史館がありその角に福島市道路元標がある。ここは元は高札場だったとの解説がある。なお、歴史館内にはいろいろな歴史的資料の他に、往時の宿場内の家並みの復元模型が展示してあり、参考になった。


 街道はここで北に進むのであるが、逆の南に進み城跡を見学することにする。警察署前の信号を通過して進むと色づいた桜の下に大手門跡の石碑があり道路の右手に案内板がある。そのまま右手を進むと県庁前公園内にはしのぶ文知摺を詠んだ芭蕉の句碑が現れる。


 県庁内に入り左手に進むと紅葉山公園に入るが、ここは福島城の二の丸御外庭だった所で、池、築山、茶屋などが設けられていた名残がある。その奥の阿武隈川沿いには真っ赤に色づいた美しい紅葉と、藩祖板倉重昌を祀った板倉神社がある。


 次に500m位北の福島稲荷神社裏にある世良修蔵霊神碑を訪ねて見る。碑は金網に囲まれ目立たない存在だが、掃除は行き届いている。長州藩士・世良修蔵は奥州鎮撫総督府下参謀として奥州に乗り込んできた。1868年4月、この近くの妓楼・金沢屋にいたところを仙台藩士に捕らえられ、舟場町の阿武隈川河畔で斬首された。首は白石とか仙台とかに運ばれたと云われている。墓は白石市の陣場山にある。朝敵とされた会津藩救済を嘆願する奥州諸藩を賊扱いして聞く耳もたず、恨みをかっていたようだ。


 街道にもどり上町の衣裳館マーベルの角を右折して暫く進むと越後屋の看板を掲げる往時の面影を残す店が並んでいる。国道四号線を横断して進み、次の角を左折するのが街道なのであるが、直進してその先にある宝積寺を訪ねて見る。ここは伊達氏の菩提寺で伊達政宗の祖父・晴宗の墓がある。


 もどって街道を進むが、宿場内には昔の面影はなく、延々と直線的に続いている。イトウヨウカドウのようなマークのスーバーの前にでる。ここが福島宿の北の入り口だったところだ。その前を通過して進むとやがて福島競馬場が右手に現れる。競馬場のトイレが見えたので小用をたしてさらに街道を北進すると、街道は国道四号線と合流する岩谷下の交差点にでる。


 芭蕉も立ち寄ったという文知摺石を訪ねて見るにはここを右折して文知摺観音へと足を運ばなければならない。ということで、文知摺石は後日にしてまずは左手の信夫山の山裾にある岩谷観音を見物することにする。左折して100m位進むと岩谷観音へ通じる長い階段がある。階段を登り切ると岩に刻まれた三十三観音が現れる。解説によれば1709?10年に西国の三十三観音巡拝にならって彫られたとのことだ。沢山彫ったものだと感心する。


 岩谷観音を後にして街道にもどり、北に200m位進んでいくとオートバイ屋の先にY字路が現れる。街道はここを左手に進むが、直ぐに松川に突き当たる。往時は板橋が掛かっていたが、今はその橋はなく、右手の国道四号線の松川橋を渡る。朝から吹いていた風が一層強くなり、吹きっさらしとなる橋の上ではピューピューと唸っている。帽子を飛ばされないように深く被り、橋の上から街道と信夫山を振り返ってシャッターを押した。


 橋を渡ったら、袂で左折して街道の続きを歩く。ここからは空っ風に吹かれつつ、ひたすら歩く。国道四号線が混んでいるからなのか、結構車が来るので始終道の端によけて歩かなければならないのがめんどうだ。やがて八反田川に架かった橋本橋を渡り、阿武隈急行の福島学院前駅脇を通過して暫く進むとT字路となる。そこを右折すると瀬上宿だ。



(25清水町宿) (27瀬上宿)

ホーム仙台道>福島宿