38:槻木(つきのき)宿
・宿場内には逢隈旅館や旧家があり街道筋の面影が残っている
・阿武隈川沿いの堤防を歩くコースは街道のコースではないと思うがいいことにする
・玉崎地区の問屋跡と阿武隈川は往時に舟運が繁昌していたことを偲ばせてくれる

 槻木---四日市場---玉崎問屋跡---東洋ゴム工場横---岩沼 6.1km
 2009年5月4日





 街道を進んでいくとY字路が現れる。そこを左手に進むと右手の角が逢隈旅館だ。往時は大茶屋と呼ばれていた逢隈亭は今も旅館として現役でいる。手前の庭には明治天皇ゆかりの松がある。


 宿場内を進んでいくと現代な家並が続くが、時折塀と門構えのある旧家が現れる。最初に現れる北条家は広大な敷地を有しているとのことだ。街道は宿場の東の端でY字路を左手に進む。


 暫く進んでいくと槻木中学校の手前でも塀と門構えのある旧家が現れる。その先に進むと街道は国道四号線に合流する。その手前あたりに一里塚があったのだがそれを示すものは何も発見できなかった。横断歩道を渡って国道の右手の歩道を進むが、そこは阿武隈川の土手下の歩道なので、土手に上がって見ると阿武隈川の雄大な眺めがすばらしい。暫くは春うららの川沿いの道を進む。


 街道はやがて国道四号線と分かれて右手に進む。暫く進むと綺麗なアーチを描いている水道橋が見えてくるが、その手前の田圃の横の道端に道標が現れる。「西 柴田郡槻木村、東 名取郡千貫村」と刻まれている。昔の郡境石のようだ。


 その先に進むと街道は直進するのだが、右手の坂を登り阿武隈川沿いに進んで、玉崎地区の舟運送時代の問屋を見学する。菜の花に彩られた阿武隈川を右に見つつ堤防上を暫く進んでいくと、左手になまこ壁と土壁の建物が現れる。そこがかつて問屋だった渡辺氏宅だ。


 土手を降りて屋敷前にいくと案内板が右手にあり、敷地内には米沢藩や仙臺藩の御城米蔵、なまこ壁の文庫蔵、板倉、仙臺藩主や姫君、代官の宿所だった玉崎荘と庭園があると解説されている。広い敷地内には庭園まであったとのことで、往時は舟運で賑わっていた様子が偲ばれる。しかし土壁の米蔵などはそろそろ修理が必要なのではと思える様子だったが、財政難でどこも苦しいのだろうなと余計なことまで思いやってしまった。教育委員会どの補修もよろしく。


 問屋跡を後にして街道にもどり、田圃の中を進んでいくとやがて国道四号線のガード下を潜り、東洋ゴム工業の工場横を通る。西六角で東武神社の前を通過し、桑原で岩沼桑原郵便局前を通過して進み、突き当たりのT字路を左折するとその先は岩沼宿だ。



(37船迫宿) (39岩沼宿)

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