22:二本柳(にほんやなぎ)宿
・宿場内の所々の屋号が往時の宿場であることを偲ばせる
・宿場名の元となった二本柳が街道から離れた場所に復活されている
・八丁目宿までの街道は緩いアップダウンの道でハイキング気分で歩ける

 二本柳---鹿の鳴石---大取揚坂---八丁目 3.9km
 2008年6月8日





 十字路を左手に進み緩い坂道を登って宿場内に入る。すぐ右手に桜の木陰に観音堂が現れる。観音堂に近寄って見たら木の影にお地蔵様もっあった。二本柳宿は昭和の前半までは道の真ん中に堀が残り、茅葺きの民家が並ぶという宿場らしい景観が残っていたとのことだが、今は無い。宿場内を進むと左手には門構えのある旧家が現れる。


 所々の家に昔の屋号が掲げられており、材木屋や問屋という屋号が現れる。宿場内を進んでいくと正面に円東寺が現れる。手前の右角には角屋という茶店があった。なお、宿場名の元となった二本柳が街道から離れた場所に復活されているが回り道になるのでパスする。


 円東寺前が宿場の西端で、街道はここを右折して進む。右折して数十m坂を下ると左手に弘法清水が現れる。弘法大師が柳の枝を突きたてると清水が涌きだしたとの伝説が残っている。が、坂の下手が削り取られて以降は枯れてしまったようだ。しかしコンクリートの井戸では情緒が無さ過ぎるのでは・・・・。


 坂道を下り切って登りに差しかかると、左手に鹿の鳴き石とその解説板が現れる。鹿に化身した竜神がこの岩の上で鳴いて連れ合いを呼んだが見つからず土湯の女沼に移ったとの解説があるのだが、「ただそれだけ?」と疑問が涌いた。


 緑に包まれ、時折車だけが通る坂道を登り切り、次に下っていくと左手に戦死七人之碑が現れる。多分戊辰戦争で亡くなった人のものなのだろう、無名なのが痛ましい。その先の右手に細い道があったので、街道から少し入った道端に腰を降ろしてランチタイムをにする。定番のおにぎりを頬張りお茶を飲んで一休み。今日は天気がいいので日焼けが心配だ。


 ランチタイムの場所を後にして坂道を下っていく。道端には花が咲いていて心が癒される。坂を下り、再び登り坂となる交差点には石仏群がある。大取揚坂と呼ばれる坂を登り、また緩い坂道を下っていき、やがて平坦な道となる。


 街道は境川という小川を越える。その先の右手に信夫隠の碑があったのだが見当たらない。「思いやる心の奥を漏らさじと忍ぶ隠しは袖か袂か」と和歌が刻まれたもので、1866年建立(以前はこの桐生幸蔵翁の碑の左手に案内板とセットであったのだが・・・・)。信夫隠の碑はどこにあるのだろう、見落としたのかなと思案しながら街道を進んでいくと、右手からくる道と合流する。その先は八丁目宿だ。



(21二本松宿) (23八丁目宿)

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