42:長町(ながまち)宿
・宿場内はビル街となり街道筋の面影は残念ながら残っていない
・宿場の外れの広瀬橋の袂には曲尺手や橋姫明神など往時の面影が残っている
・仙台藩主が必ず道中安全を祈願した旅立神社は以外と小さな神社だ

 長町---長町三郵便局---広瀬橋---仙台 4.5km
 2009年5月4日、5日、9月25日





 長町宿に入ると最初に右手にJRの長町駅が現れる。駅前は再開発で工事中なので絵にならない風景だが一応カメラに納めておくことにする。駅前には高層ビルが建ち往時の面影は残っていないようだ。そんなことを確認したところで、時間は17時40分となってしまい、探索を中止して旅籠に向かうことにする。長町宿のホテルはどこも満室なので、今夜の泊まりは岩沼宿のホテル原田だ。昨夜と同系列であり、LANケーブルを貸し出ししているとのことなので、食後にブログをアップしてみる。


 5月5日、8時50分にホテルを発って岩沼駅に着くが、ダイヤを確認しなかったので連絡が悪い時に当たってしまい40分も待つことになる。10時過ぎに長町宿からのてくてく旅を開始する。宿場内はビルばかりで街道筋の面影は何も残っていない。がしかし、現在の風景ということで長町三郵便局前の様子をカメラに納めて先に進むことにする。


 街道はほぼ真っ直ぐに進み宿場外れで広瀬橋(旧永町橋)の前にでる。が、その手前の左手に「多賀神社道案内」と「門前道」という二つの道標と案内板が立っている。案内板によるならば、これらの道標は長町宿の仙台城下側の枡形の位置にあったものと地図と当時の絵で解説してある。往時は枡形を経由して旧永町橋へ出ていたとすると、橋が今よりも少し上流にあったこととが符合してくる。なるほどなと合点した。ガイドブックにないことなので、早速デジカメに納める。(2009年9月25日)


 また、橋の袂の左手には橋姫明神の小さな祠と1823年の橋供養碑がある。昔、広瀬川が暴れて橋が架けられないでいると竜神様の怒りだから若い娘を差し出さなければとなり、根岸の長者の娘が名乗り出て人身御供となり、橋は無事に架けられたという伝説にまつわる供養のための祠だ。さらにその横には旧永町橋の礎石が置いてある。


 広瀬橋の上から川の右手の仙台宿の方を見るとビルが林立し、左手の森とは対称的な造りになっていることから、「森の都」というのかななどと勝手な推測をしてみた。橋の上には日曜画家と思われる人が何人もいる。


 橋を渡ってから右折し、JRのガードを潜って暫く進むと右手に旅立稲荷神社が現れる。伊達政宗など仙台藩主が江戸に旅立つさいは必ずここで道中安全を祈願するのがならいだったとのことである。それにしては小じんまりした神社だなとの印象をもつ。なお、ここの狛犬が愛らしいのでデジカメにお納めておいた。


 先に右折した街道に戻り、左カーブする街道を進んでいくと、千葉歯科医院の手前に山三マークが付いた蔵屋敷が現れる。街道筋の面影が早速に現れたことで、この先に期待が高まる。街道を暫く進み左手にピンク色の歩道が現れたら、そこで左折して進むとその先は仙台宿だ。



(41中田宿) (43仙台宿)

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