12:笹川(ささがわ)宿
・宿場内には街道筋の面影は残っていない
・足利公方満兼が奥州につくった篠川城跡がある
・耳語橋の袂にある耳語橋の由来が面白い

 笹川---耳語橋---日出山 2.0km
 2008年5月5日





 新幹線の高架下を通過して暫く進むと右手に八雲神社が現れる。丁度昼飯時となっていたので神社の境内に登り、ブランコに腰を降ろしておにぎりを頬張る。境内は近所の子供達の遊び場なのだろうが、誰も来ずひっそりとしている。旅人にとっては一休みできる格好の場だ。時々、新幹線がもうスピードの騒音を残していく。


 食事を終えて一休みしたら早速出発だ。宿場内を進んでいくが、残念ながら街道筋を思わせるものは何も残ってはいない。暫く進んでいくと左手に塀の切り込みがあり、そこから明治天皇の笹川休息所跡の石碑が現れる。ここは元庄屋だったとのことだ。


 反対側の路地の角に東館稲荷神社入口の石碑が立っている。早速右手の路地奥に進んでいくと東館稲荷神社が現れる。その手前に篠川城址の石碑があり、南北朝時代の足利政権の奥州支配の中心地だった篠川城という大拠点がここにあったと解説されている。(2009年9月24日)


 宿場の中心から約1km位進むとY字路が現れる。街道はここを左手に進む。すると笹原川に突き当たる。土手の上に登ってみると、対岸の先にも電柱が立っており道は続いているようだが川を越える耳語(ささやき)橋が無くなっている。右手に移動して現代の耳語橋を渡る。


 橋を渡った右手のささやき公園には耳語橋と音無川の由来が記されている。それによると、奈良時代のこと、按察使(あぜち)として陸奥に来ていた葛城王が都に帰る時に、この地まで見送りにきた見目麗しい春姫と橋の上で別かれをおしみ何やらささやいたが里人には何も聞こえず川の流れも一瞬止まったと云われ、後世この川を「音無川」、橋を「耳語橋」と称するようになったと記されている。カメラにその石碑を納め、川沿いの道は街道とは切れているのでヤマト運輸の先の道から街道に戻る。戻った直ぐ先から日出山宿だ。



(11須賀川宿) (13日出山宿)

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