05:踏瀬(ふませ)宿
・宿場内には街道筋の面影は残っていない
・五本松にはすばらしい松並木が残っている
・松並木の先には茶屋跡がある
踏瀬---五本松---茶屋跡---大和久 2.5km
2008年5月4日
左手の愛宕神社の参道横には庚申供養塔や二十三夜塔、飯豊山碑などが並んでいる。その前を通過して宿場に入る。宿場中程の左手には白壁の大きな旧家が現れる。往時には宿場内に検段屋敷があったようだがこの旧家かどうかは定かではない。踏瀬宿も街道筋の面影は残っていない。宿場内を進んでいくと慈眼寺という寺が現れる。その前を通過して進み、宿場を後にする。 |
宿場を後にして暫く進むとやがて五本松の松並木が現れる。左手の案内板にある写真をよく見ると、その当時より松の木が少なくなっている。街道の左手を見ると切られた松が積まれていた。さらに進んでいくと、その先に見事な松並木が現れる。こちらの松並木が本来の松並木のようだ。ワクワクしながら早速カメラに納める。案内板によるならば、この松並木は白河藩主・松平定信の当時に植えられたもので、明治18年ごろに補植したと記されている。いつまでも残しておきたい風景だなと、暫し見とれる。 |
街道はやがて緩い登り坂となる。坂を上り詰める手前の右手の大河原建設の隣に卯右衛門茶屋と文七茶屋跡の案内板が現れる。往時、ここには深井戸からの水が美味しい「馬宿」と言われた卯右衛門茶屋と、眺めがすばらしい「丑宿」と言われた文七茶屋の二つの茶屋があり、休み所として繁昌していたと記載されている。案内板の横には卯右衛門茶屋の井戸が残っている。ここは高台なので周囲の眺めはいいがすばらしい程ではないように思えるな・・・。茶屋跡の先はあぶくま高原道路を越える立体交差となる。 |
立体交差を後にして暫く進んでいくと右手に矢吹町上水道配水池の看板が現れる。大和久宿に通じる舗装された現在の道路は明治時代に開かれた旧国道であり、街道は分からなくなっているとガイドブックでは紹介されいる。ということで、街道を求めてその先の東北電力の電柱69の先の土手を強引に登っていくと街道が現れる。驚くことに、そこには電柱が立っており電線も通っているのだ。 |
ほとんど人も通らないので雑草が伸び、樹木も伸びているが幅3m位の平ら道が、旧国道よりも上の木立の中に続いている。どうやら街道は旧国道を開くときに切り通しが造られて寸断され、通行不可となり忘れ去られてしまったようだ。雑草や樹木の繁った街道を進んでいくと、やがて右手からくる農道と合流して坂道を下り、大和久宿へと向かう。 |
ところで、この街道は、実は大和久宿に出る街道の地点まで旧国道を進み、そこから街道を逆に探索することで発見したものです。こういう失われたものの探索ということも、街道てくてく旅の楽しみの一つで、胸をワクワクさせながら、時間の浪費もいとわずにのめりこんでいます。なお、この街道を歩く場合は明るい内がいいと思います、道がはっきりしていないから。ということで、街道の坂道を下っていくと大和久宿に出る。 |