40:増田(ますだ)宿
・北方検段屋敷跡や荘司家など街道筋の面影が残っている
・南方検段屋敷もあったというが標識もないので実質的には不明だ
・宿場を出るとただただ直線的な車道が続いているだけなので単調だ

 増田---田高交差点---仰見---中田 3.2km
 2009年5月4日





 現代風な家並が続く宿場内を進んでいくと、交差点の手前左手に真新しい白壁の蔵造りの建物が現れる。工事中の様子だが、今どき珍しいので一応カメラに納めておいた。交差点を渡りその先に進むと、左手に長い塀と門構えと蔵のある旧家・荘司氏の屋敷か現れる。庭を覗いて見たら「明治天皇増田御膳水」との石碑が立っている。詳しい案内板はないのでカメラに納めて先にすすむ。


 数軒進むと左手に増田公民館が現れる。案内板にはここは北方検段屋敷跡で菊地家が幕末まで問屋業務や本陣業務を努めてきたことが記されている。また南方にも検段屋敷があり人馬の継立を分担してきたこと、明治になると役場となり、明治天皇巡幸のおりには御休憩所にあてられたと記されている。先の荘司家の水はその時に使用されたと思われる。


 なお、菊地邸にあった松の古木は明治天皇に随行してきた木戸孝允の和歌の中で「衣笠の松」と詠まれたことから、「衣笠の松」と命名されたと案内板に解説されている。樹齢数百年とのことだ。南方検段屋敷がうつみ呉服店付近にあったと解説されているが戻って確かめるほど気力が涌かなかったので、今回はパスすることにして先に進むことにする。


 宿場内をその先に進むと特に何もなく、真っ直ぐに伸びた街道を進み増田宿を後にする。ほぼ直線の車道となった街道は見るものもなく、ただもくもくと2km程進むとその先は中田宿だ。



(39岩沼宿) (41中田宿)

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