01:仙台(せんだい)宿
・遣欧使節として渡欧した支倉常長は光明寺にひっそりと眠っていた
・今では高台の上となり人目に着かない位置に仙台藩の処刑場跡がある

 北仙台---北根3丁目---処刑場跡---七北田 5.7km
 2010年5月15日





 10時30分、地下鉄・北仙台駅をおりて地上にでるが位置が不明に。青葉神社への道を通りすがりのおばさんに教えてもらう。青葉神社への道を戻っていって、前回見逃した光明寺の支倉常長の墓から今回の旅を始める。光明寺の階段を登り本殿の左手に進むと案内があり、その奥にスペイン、ローマへと渡ってきた支倉常長の墓がある。その前には案内人として随行し、再来日で長崎で捕らえられ処刑された宣教師ソテロの碑がある。


 街道を先に進むとその先には鹿島香取神社があり、参道入口には道中安全を祈願した馬頭観世音(1848年)や庚申塔がたっている。


 街道は仙山線の踏切を渡り、いよいよ仙台宿を後にして緩い登り坂となり堤町に入る。暫く歩くと下り坂となるが、その左手に佐大ギャラリーが現れる。往時は堤焼きの窯元が沢山あった所だが今はなく、堤焼きを展示している佐大商店だけが残っているようだ。その横には、「御仲下改所(おすあいどころあと)」の案内板がある。これは城下に持ち込まれる商品から税金を取る北の番所跡で、東西南北にあったものであるとの解説と絵が書き込まれている。


 暫く進むと街道はやがて車道と合流する。緩い坂道を下っていくと左手に青笹不動尊が現れる。往時、ここは一面に青い笹が生い茂りこんこんと涌く泉があったので、七北田処刑場に引かれていく囚人たちはここで末期の水を飲んだとの解説がある。その泉のほとりにあった石碑をお祀りしたのが不動尊のはじまりとのことだ。


 青笹不動尊を跡にして暫く進み、北根3丁目の交差点で街道は車道の東側の細道に入る。やがて川沿いの道となって進むが、やがて行き止まりとなるので、手前の橋を渡り車道を進む。虹の丘入口交差点で車道左手の道に入り、街道は車道よりも高い道となる。


 騒音で賑やかな車道を見下ろしつつマンションの前を通過して暫く進むと、左手に仙台藩刑場跡が現れる。お地蔵様と南無妙法蓮華経と刻まれた供養碑がたち、花が供えられていいる。1690年から百姓、町人等の罪人の磔、火焙り、斬首、獄門の刑がここで執行され、その数5300人とも7000人ともいわれている。なお車道側の地蔵様は車道の東側にあったものを、道路拡張工事にともなって現在地に移設したとのことである。それにしても大勢の人が処刑されたものだなと思った。合掌!


 処刑場を後にして先に進むが、処刑場前の道は左へ大きく迂回しているので階段で車道へおりて進む。高架となっている地下鉄・八乙女駅のガードを潜って暫く進むと綺麗に整備された七北田橋を渡る。その先は七北田宿だ。



(00松前道) (02七北田宿)

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