19:黒沢尻(くろさわじり)宿
・ガイドブックとは違い9年橋から続く本通りが宿場の通りだったようだ
・二子の一里塚に続き成田の一里塚も健在だったのを見て旅の気分が盛り上がる

 黒沢尻---二子一里塚---成田一里塚---花巻 12.1km
 2013年6月17日





 9時にホテルを出て、まずは北上川を見に駅の地下道を通過し、堤防の上に出る。対岸は展勝地という桜の名勝地だ、がこの季節では青葉になっている。川はゆったりと流れている。以前は舟も行き来して、北上川舟運の重要な中継基地だったといわれているが、今はその面影もない。その昔は日高見国といわれていた地域でもある。


 街道にもどり、9年橋から続く本通りを進んでいくと左手に北上信用金庫が現れ、その横に脇本陣跡の標柱が立っている。歩道には屋根がつき歩きやすくなっている。その先に進み本陣跡を探す。やがて、PIAすわちょうのアーケードが現れる。その角に松屋という呉服店があったが標柱もなにもない。しかたなく店に入って「ここは宿場時代にあった本陣跡ですが」と聞いたら「知らない」という返事だった。が、近くの時計屋さんに聞くと「本陣跡ですよ」と教えてくれた。


 松屋の前の道路の反対側の横には「本町のおこり」という案内板がある。そこには江戸時代の始めに北上川寄りに公道がつけかえられ、それと共に黒沢尻の野原に造られた宿駅であると紹介されている。その先に進むともう一つの脇本陣跡があるので捜しつつ進んだが発見できなかった。時計屋の所だと目印を捜したが違ったようだ。右手の大安タクシーの向かい側にあったとのことだったが、もっと先だと油断して見過ごしてしまった。それにしてもガイドブックは本通りよりも右手の道を街道としているが誤りではないか。


 宿場を跡にして街道を進む。街道は東北本線を超える跨線橋となり、右手を進んでいたので線路を超えた先で右手の階段を降り、左折して坂道を登っていく。「おかしいな~」と気づいて地図をよく見ると、跨線橋の手前で左折しなければならないのを見落としたことに気づいた。「ありゃ~、しかしもどるほどでもないか」と気を取り直して先に進む。坂を登りきった信号の先のところで本来の街道だった左手の道と合流。


 暫く進み、緩い下り坂を降りていくと二子の一里塚が現れる。左右とも健在なのは珍しいかぎりだ。江戸から128里、盛岡まで11里を示していると案内板に紹介されている。しかし、左の塚は隣の神社の森とかぶっているのでパッとしないのが惜しい。


 一里塚を後にして街道を進むと、街道は緩く右カーブする。その左手に黄色い花の群落があったので、紹介のため写真をとっておくかとカメラを構えた。黄色い花の下の茎が30~40cm位伸びていて、珍しいのでよくよくみると葉っぱはぎざぎざがあり、タンポポと同じだった。「じぇじぇじぇ、タンポポの新種なのか?」と気をよくして何度もシャッターを押してしまった。


 街道を先に進んでいくと左右に新しそうな工場群が現れる。山の中に造られた工業団地だ。工場は動いている音はするが、人影はみえない。車は通るが道路を歩いているのは私一人だ。山の中なのに日陰もなくときおりふく風に救われる。工業団地を抜けて進み、川を渡った先で右手からの道と合流する。と、その先に成田の一里塚が現れる。ここの一里塚も左右とも健在でうれしいかぎりだ。塚に植えられている木も大きく成長している。いや、やや成長しすぎではと一抹の不安も感じる。二子、成田と連続して健在な一里塚あるのは、奥州街道でも珍しい存在のようだ。ここにも花の下の長いタンポポが咲いてる。


 一里塚を後にして街道を進むが、そろそろ水が無くなってきたのでどうなるかと不安になりながら歩いていくと、左手の建設機械置き場の横に自販機が現れる。助かったと早速冷たいのをのんで一息つく。街道は木陰のない一本道が続く。やがて左にカーブする地点にきた所で、右手に神社が現れる。13時近くになっていたので、神社の木陰でランチタイムにする。おにぎりとお茶で暫し休憩。赤い鳥居には薬師神社と書いてある。薬師寺と神社が合体したようなネーミングだ。きれいに手入れされていて旅人には助かる場所だ。


 その先に進むと街道は突然行き止まりとなる。地図上では街道が続いているのだが、新しいバイパス道路ができているのだ。左手のローソンの広場に抜け、ついでに水の補給とアイス最中を買い、信号を渡って元の街道の続きへと復帰する。アイスを食べながら歩いて行くと右手に「旧外台村の歴史」という表示杭が現れる。この土手の下には外台村(とたいむら)という村があったが村に人家なしという珍しい村だったと記されている。


 その先には名残りの松があるというので右手の木がその松だと思ってシャッターを押したのだが、違っていた(よく見ると杉のような木だ)。アイスを食べるの気を取られ、右手の傘松の案内を見落としたらしい。その先に進むと左手に南城小学校が現れる。校庭の横には前9年の役(1051~1062年)の時、朝廷方の源頼義軍がこの付近に陣所を置いた所との伝えがあると記された案内板がある。また、校庭内には3本の名残りの松がある。私が訪問した時には小学生たちが校庭の掃除をしていたので、少し話をしたらもっと手前にも松の木があると教えてくれた。


 街道を進んでいくと「賢治詩碑前」の案内板が現れる。右手奥には同心屋敷が移築復元されており、その先の羅須地人協会があった場所には賢治の詩碑があるとのことだが時間がないのでパスする。暫く進んで行くと花巻桜郵便局が現れる。その横には向小路同心屋敷跡の表示杭がある。往時には街道の両側に15戸づつ、足軽同心屋敷が配置され、花巻城下の南の関門になっていたと記されている。


 向小路同心屋敷跡を後にして街道を進んでいく。国道4号線と交差しつつも街道は真っ直ぐに進み、豊沢橋を渡る。歩道付の橋を渡るとその先は花巻宿だ。




(18金ヶ崎宿) (20花巻宿)

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