40:蓬田(よもぎた)宿
・松前藩主の休憩所になっていた正法院という大きな寺がある
・玉松台には地名の元となった枝が丸を描いているように見える松がある

 蓬田---玉松台---天満宮---蟹田 7.7km
 2015年11月5日





 正法院は松前藩主の休憩所になっていたことからも推察できるように大きく立派なお寺だ。本堂はガラス戸に覆われていて、現代的な雪対策がしてある。境内には鐘楼と地蔵堂がある。山門の右側には笑っているような仁王様があり、珍しさに微笑んでしまった。


 その先の阿弥陀川の手前、左手に稲荷神社がある。が、その川の両側には地蔵堂がある。そんなに建てなくてもと思うのだが。


 川の先には蓬田村役場と青森銀行とが一緒になった(?)建物がある。これまた珍しいのでシャッターを押しておいた。通常、公務と私営を峻別するのが常識なのだが、このほうが便利なのかも。なお、宿場といっても住宅が続いているだけで繁華街があるわけではない。


 暫く進むとまた地蔵堂が現れる。蓬田橋を渡り街道を進んでいくと民家の道端の花が綺麗に咲いているのでカメラに納める。柿の実も秋の風物だ。


 暫く進むと右手にマルシェよもぎたという店が現れる。ここは玉松海岸の休憩所だ。隣の木造の円柱はなんとトイレで綺麗なところだった。テラスもあってのんびりするにはいいところだ。私は海をながめながらコヒーをのみ暫しの休憩をとった。


 今は誰もいない玉松海岸だが夏には大勢のお客さんで賑わっているのだろうと思われる。休憩所の端に地蔵堂がある。


 次に玉松台にある玉松を捜しに行こうとしたのだが、案内板を見ると線路の向こう側にあるので、戻ってぐるっと回り込む以外にルートがないようだった。仕方なく戻って向かったが、車ならいいが歩きには戻りはつらい。玉松台に着くと案内板があり、それに従って玉松はすぐに発見できた。


 拝み石から振り返って見るようにと指示があったので、次に拝み石を捜し回ったが見つからない。いろいろ捜したあとに墓石の先にある「玉松の松を拝む石」が「拝み石」であるとわかった。そこから見ると確かに松の枝が丸を描いているかのように見える。しかし、「拝み石」といっておきながら「拝む石」と表現を変えないでほしいと思う。いや、それよりも「ここから松を見てください」と表記したほうがよっぽどいいと思うのだが。


 なお、ここは松前藩主も休憩した景勝地でもあり東家がある。しかし、地元の名士がいろいろな石碑を建てているのでチョットうっとおしい。街道への戻り道は、誰かの歩いた跡をたどり注意して線路を横切り民家の庭を通って街道に復帰した。が、この道はお勧めできないので自己責任で判断してください。


 街道を先に進むと瀬辺地という地名になる。1300年以上昔、この地にセヘという名の首長がいたことに由来するという。その先に進むと左手に入る道があり、鳥井を越えて進むと天満宮にでる。


 天満宮の左手に北へ続く道があるので、その道を進んでいく。林間を抜けると海の見える景勝地となる。そこを通過して進むと、再び林間の道となり街道に戻れるのか不安となりつつ進む。やがて民家が見えてきて、その横を通過し国道にもどる。往時の街道は天満宮の下の斜面の中腹を通過していたのではというが、私の歩いてきたルートもありえるのではと思いつつ進む。


 暫く進むと郵便局があり、その先の左手に現れる旧家は、大正8年に築かれ上磯地方随一といわれた田中吉兵衛庭園の跡である。往時の屋敷は平内町に移築されたそうで、庭園は荒れており往時の趣をしのばせるものはなかった。


 昼を大分過ぎているのでランチタイムとする。国道から海側の通りに出、空家の横に腰を下ろしておにぎりとお茶、それに大福をたべる。空を見ると飛行機雲がいく筋も見える。昨日もそうだったが、空を見上げると必ずどこかに飛行機雲がありジエット機がとんでいるのだ。海は何事もなくのどかだが、空は大忙しなんだろうかと思いつつシャッターを押した。


 ランチタイムを終え休憩もそぞろに出発する。左手は山、その隣は線路、その隣は道路、その右手は海というゆとりのない箇所を進んでいく。でも防波堤はきっちり造られている。その先に進むと蟹田宿だ。



(39油川宿) (41蟹田宿)

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