10:宮野(みやの)宿
・皇大神社、代官所跡、検断屋敷跡(及川家)などの街道筋の跡が残っている
・伊治城跡や文化財管理センターがあり蝦夷と朝廷との戦いを知ることができる
宮野---ヤンマー支店---富野小学校---根岸---沢辺 7.8km
2010年10月7日
国道四号線と分かれて進み交差点で右折すると宮野宿内に入る。暫く進むと左手に皇大神社の赤い鳥居が現れる。階段を登っていくと皇大神社の本殿がある。由緒書きには、第3代安寧天皇の第一皇子である迫子皇子がこの地を開き郷号を迫(はさま)とし、皇大神社を勧請したと書かれている。安寧天皇とは神武天皇から3代目で実在したかは不確かな天皇のようだ。蝦夷地支配のために大和朝廷の皇子がのりこんできてこの地に住み着いたということのようだ。 |
神社の横には宮野幼稚園があるが、ここは往時の宮野代官所跡であり、栗原群一迫、二迫郷を支配していたと案内板に記されている。 |
街道に戻って宿場内を進むと右手に門構えの旧家が現れる。さらに進んでいくと左手に「中世大崎古文書」を所蔵している旨の白い標柱が立っている及川家が現れる。ここは検断屋敷でもあったとのことである。コスモスの咲く宿場内には街道筋の面影を残しているものはほとんどない。 |
宿場を後にして進むと国道四号線と合流するが、街道はアズマハウジングの所で再び左手に進む。右カーブして国道にもどる手前でY字路にでる。街道はここを左手に進むのだが、途中で道が消失していて進めない。近くで農作業をしていたお爺さんに聞くと「ヤンマーとモーテルの間に出ていたが通れなくなった。そこに一里塚があって昔は遊んでいたのだが・・・。大きな松の木も戦争で切られて無くなってしまった」と語ってくれた。お礼を言って戻って国道にでる。 |
暫く進むとヤンマー築館支店が現れ、ここで左折して城生野へと進む。その先で左手から合流してくる道があり、その角に大仏一里塚と思われる小山がある。お爺さんが話していた旧街道のようだ。街道を進んでいくと、左手に照明禅寺が現れる。その横に「伊治城跡とその出土品」という案内板がある。伊治(これはる)城は奈良時代後期、767年に蝦夷経営の前線基地として造営された。しかし大和朝廷に服して当地方の大領(長官)となっていた蝦夷のアザマロが、按察使を殺害し伊治城や多賀城を奪うという反乱の舞台となった所でもある。その後朝廷よって反乱は平定され再び蝦夷地開拓の基地となったと記されている。大和朝廷による蝦夷地開拓=支配の歴史をしらない私にとっては「へえ?」と驚き感心した。 |
その先の街道の右手の小学校跡地には「伊治城外郭北辺土塁及び大溝跡」碑と文化財管理センターがあるとのことなので、キョロキョロしながら進んだがなかなか見つからないので右手の小道に入って付近の方に聞いたらもっと先だと教えてくれた。先程の照明禅寺から600m位進むと筋違いの十字路の右手に朱色の柱の文化財管理センターが現れる。 |
センター内には伊治城跡が国道四号線で分断されて存在していることや、8世紀後半から9世紀初頭にかけて大和朝廷による蝦夷地支配が進められたことが資料でもって説明されている。東北地方のことを知らない私にとっては先住民の蝦夷と大和朝廷との闘いの歴史に驚くばかりで勉強になった。街道にもどり、先に進むと右手に「伊治城外郭北辺土塁及び大溝跡」と書かれた標柱がたっていた。伊治城跡を探訪するには右手の奥の国道まで足をのばさなければならないので諦めて先に進むことにする。 |
坂を下り小学校の前で左折し田圃の中を進む。突き当たりで左折し橋を二回渡って右折する。暫く進み、民家の横で左折して国道に近い農道を進む。水田は整地されているので街道そのものではないが街道に近いと思う農道を進む。川に突き当たり先には進めないので右折して国道に出、橋を渡る。川向こうの橋があったであろう位置まで川沿いをもどり、街道の様子をカメラに納めておく。途中、常現寺跡が左手に現れる。 |
その先で国道を横断して進み、右手に入る二つ目の道を右折して暫く進むと左手の小道に三界万霊供養塔が現れる。これは天明の大飢饉の死者を供養するため三十三回忌である1818年建てられたもので、150戸の村において天明6年55人、7年23人、8年61人と多くの餓死者が出たことによるものである。米麦、雑穀の収穫が皆無となり犬の肉はもとより雑草や樹皮まで食たと記してある。凄まじい様におののいてしまう。合掌! |
ところで、この道は歌にもよまれた「姉歯の松」を経由して沢辺宿に続いている。迂回することになるので探訪はしないことにしたが、先般、耐震強度のインチキ設計をして御用となった方の遠い先祖はこの地方の方だったのかな?などとかってな推測をしてみた。街道にもどり、暫く進むと国道と合流して北東へと進む。国道四号線を1km程進むと左手に街道が残っているのでそこを進み、国道にもどったらY字路を斜め右の道へと進む。ガイドブックでは国道の橋を渡ってから沢辺宿へと戻ってくるように解説されているが、どうも不自然なので国道右手の道を街道であると考えて進む。三迫川に架かる「たつたはし」を渡ると沢辺宿だ。 |