45:龍飛(たっぴ)岬
・三厩から先も民家がつづいており、人も近づかない地の果てではない
・岬、海峡、北海道、北風、龍飛岬には演歌の詩情が溢れている

 三厩---算用師---鐇泊---尻神---龍飛岬 11.2km
 2015年11月7日





 義経寺の階段を降りるとお馴染の地蔵堂と百万遍供養塔が現れる。松前道は三厩宿で終了したが、本州北端の龍飛岬まで国道339号が続いているので吉田松陰も眺めた岬を目指して進む。右手の海辺には兜岩が現れる。


 算用師橋を渡ると左手に「みちのく松陰道入口」の道標がたっている。このルートは小泊への山越えのハイキングコースであり、幕末に松陰はこのコースを通って外ヶ浜へきた。その先、藤島集落の海には藤島という奇岩があり赤い鳥井とお堂が備わっている。その先の四枚橋集落は、かって海辺の断崖の岩から岩へ四つの板橋で渡されていたことからこの名がついたという。


 元宇鉄川に架かる橋を渡り先に進む。鐇泊の手前には地蔵堂がある。その先にトンネルが見えるが右側の旧トンネルを進む。するとその先にはトンネルが二つ続いている。以前は苦労して通過していたのだろうと思いがよぎる。


 尻神集落を通過するとその先には見事な岩場工事が現れる。切り立った岩に沿って縦、横のラインを這わせていることに感心した。この工事の前までは切り立った岩場の難所だったのだろう。その先の梹榔(ひょうろう)集落には海辺にバイパスが通っており、そこを通っていく。山の上には風力発電機の風車が幾つも回っている。


 切り立った岩の先に回り込むと龍飛岬が見えてくる。やがて右手に広場が現れ、太宰治の文学碑がある。「ここは本州の袋小路だ。・・・・・」と『津軽』の一節が刻まれている。その文に続けて太宰は「ここは国防上重要な土地である。私はこの部落についてこれ以上語れない」といって岬の様子の描写をしていないので当時の様子を伺いしることができない。なお、道の反対側にはお馴染の地蔵堂がある。


 龍飛岬の漁港に来ると突端の帯島が見える。近くに公衆トイレがあるが、そこには「原子核燃料サイクル事業推進特別対策事業」という看板が仰々しく掛かっている。トイレはありがたいが宣伝の材料にしないで欲しい。


 さていよいよ国道339号の階段国道に入る。民家の横にあるピンク色の路地を進んでいくと階段に出る。どう考えても国道とは思えない、日本唯一の国道である階段を登る。かなり急であり、かつ362段と長い。坂の途中に昔の中学校跡がある。


 階段を登りきり、さらにその上の丘の上に登るといろいろな碑がたっている。吉田松陰詞碑、津軽要塞重砲兵聯隊龍飛砲台跡、トンネル塵肺根絶の碑など。


 そして龍飛崎灯台と突端には自衛隊の監視サイトがある。たえず観光客が訪れては津軽海峡や北海道を眺めて写真を撮っていく。吉田松陰もここで海峡を通過する異国船を見たのだろうか・・・・。記念に私も隣にいたおじさんにシャッターを押してもらい、反対におじさんのシャッターも押してあげる。


 龍飛崎の極めつきは見晴らし台にある石川さゆりの「津軽海峡冬景色」歌碑だ。歌碑の前のボタンスイッチを押すと大音量で歌が流れるのだ。「ごらんあれが龍飛岬北のはずれと・・・」の歌を聞きつつ津軽海峡を眺めて旅情に浸るのもいい。一通り見学した後、近くの食事処たっぴで海草入りラーメンを食べる。温かいラーメンは美味い。


 帰りは外ヶ浜町営バスで三厩駅に戻り、三厩駅からは津軽線で青森駅へ、そして新幹線・はやぶさに乗り車中の人となる。3・11東日本大震災があって中断することにもなったが何とか本州北端まで踏破できた。”塵も積もれば山となる”のことわざどおり、コツコツ努力することが大切なのだとビールを飲みながら実感する。それにしても、今回青森に来る朝、あぶなく寝過ごすところだったな~と寝坊を思い出してドキッとする。車窓に流れる灯のように、松前道てくてく旅の思い出が次々と涌いてくる。次はどうしよう・・・・・。



(44三厩宿) (46松前道本陣)

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