28:金田一(きんたいち)宿
・宿場として小さかったからか往時の面影を残すものはほとんどない
・蓑ヶ坂を登りきった駕籠立場からの眺めは吉田松陰も唸らせたのではないか

 金田一---姉滝---駕籠立場---リサイクルプラント---三戸 10.2km
 2014年11月8日





 8時前に金田一ホテルを出発し、駅前の宿場風景をカメラに納めて進む。街道筋の面影はほとんど無い。駅前を通過して暫く進むと左手に小道が現れ、見なれた「奥州街道」の道標が現れる。左手に進むと踏み切りにでるのでそこを渡る。


 その先は人の歩いた気配の無い草道の坂となる。息を切らして登っていき、墓地の手前で左折するべき所をまだまだと思い直進してしまう。墓地の横を通過し道根山という赤いお宮の前を通って車道にでる。そこは願海庵の斜め前だった。赤いお宮などは聞いたことがないのでルートを間違えたかもと思ったが、願海庵の前にでたので良しとして先に進む。


 車の気配も、人の気配もない車道をもくもくと進む。勾配があまりないので歩きやすい。暫く進むと右手に「姉滝100m」の案内が現れる。ならばと右手の道に進んで行くと倍近く歩いた先に見事な姉滝が現れる。「しかし100m先はインチキだな~」と一人ごとをいいつつ戻る。その先に進むと熊注意の看板があり、熊よけの鈴を鳴るモードにする。


 車道が左カーブする手前で右手の山道に入る。「奥州街道」の道標が出ているので安心して進める。5年前には道標もなく分岐点が分かりにくかったらしい。今は山道の要所に道標が出ているので安心して道標に従って進める。現地の人々に感謝だ。山道を超えるとその先にはリンゴ畑がまっていた。


 川口集落では民家の横の菊の花を愛でながら進む。川口橋を渡り右折して釜沢集落へと進む。赤く熟れたリンゴの畑がそこここに広がっているのを眺めつつ進むと、釜沢集落では柿の実をたわわにつけた風景が現れる。なんとものどかな田園風景だ。


 街道は集落の先で左にカーブする車道と分かれて直進する山道となる。ここには蓑ヶ坂の道標と案内板がある。大ムカデが蓑と傘に化け、それを身につけた旅人を沼に引きこんだという伝説と、明治天皇が行幸したおり、ここで天皇は馬に乗り換え、馬車を村人たちが押し上げたことが書かれている。


 坂を登っていくとかなり急勾配の登りとなる。そもそも車が通る道ではないのだから、村人も大変だっただろうなと思いつつ坂を登る。坂道から平坦な道になるとそこは展望台の手前だった。展望台からはカーブを描く断崖と馬淵川、リンゴ畑が眼下に広がっている様が見える。


 その先に進むと駕籠立場といわれる広場が現れる。案内板には、馬淵川のパノラマを展望できる場所でありその昔茶屋があったことや、明治天皇もここで休憩したことが書かれている。また吉田松陰の「東北遊日記」の一節が刻まれた記念碑もある。萩の松陰がこんなに遠くまでと驚いた。しかし、NHKの歴史ヒストリーによるならば、若き松陰は外国船が津軽海峡を悠々と通過していることを聞き、国の現状を知るために藩の承認を待たずに江戸を抜けて海峡を視察しにきた。その帰途に街道を通過したらしい。


 暫く進むと駕籠立場の一里塚が現れる。両側とも塚は健在だが、道が切り通しとなり6m位高い位置になっていると解説されている。また左側の塚は林の中なのでいまひとつはっきりしない感じだ。


 街道は暫く進むとY字路となる。左側に奥州街道の道標が出ているので指示に従って左手に進む。やがて国道四号線にでる。そこには奥州街道の標柱と共和清運の看板がある。ここからは左手に国道四号線を暫く進む。


 右手にリサイクルプラントが現れたら、街道は国道四号線とわかれてその先で右手の小道・板坂に入る。舗装道路を道なりに進み、十字路を直進していく。リンゴ畑を見つつ進んでいくとやがて坂下に三戸の民家が見えてくる。右にカーブする道が現れるが、直進する草道もあるので草道を進む。再び車道と合流して坂道をくだっていくとその先は三戸宿だ。



( 27福岡宿) (29三戸宿)

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