03:富谷(とみや)宿
・本陣跡や土蔵づくりの家、門構えの旧家など街道筋の風情が残っている
・一里塚が片側だけでも再生されており、奥道中歌碑も添えられている

 富谷---いぼとり太子堂---高田橋---一里塚---吉岡 6.1km
 2010年5月15日





 宿場の手前、右手の山の中に赤い鳥居が現れる。疫病払いのために勧請した八雲神社だ。先に進むと門構えのある旧家が左右にあるが、その先に熊野神社が現れる。ここを右折すると宿場に入る。


 暫く進むと左手に旧家が現れ、その塀に「富谷新町八景図」が架かっている。門には書道師範の看板が架かり威容な雰囲気のある旧家だ。その向いには「恋路の坂」という行灯の案内があり、そこに進むとその先には再生された富谷茶の畑が現れる。しかし、手入れがされていないのか、いまにも無くなりそうな様子でちょっと心配になった。


 街道にもどり先に進むと左手に本陣跡の碑と土蔵がならぶ内ヶ崎家が現れる。本陣とともに酒造店も営んでいたようだ。南部信濃守宿などの関札などが残っているとのことだ。その先には土蔵づくりの店があり、右手には富谷宿をとおった松前藩、南部藩などの大名の宿札のレプリカが展示されている。


 その向い、街道右手には脇本陣気仙屋跡碑がある。先に進むと土蔵づくりの家が現れたりする。街道は突き当たりで左折するが、その突き当たりには内ヶ崎別邸がある。河北新報社の観光百選にも名を連ねた庭園があったとのことだ。


 その先に進むと三叉路になり、街道は斜め右に進む。しかしそれだと代官所跡を示す代官松がどこにも見当たらないので三叉路にもどり、右折する道を進むと左手に中央公民館の庭があり、代官松が現れる。この松は代官所がここにあり、その玄関前に植えてあったことから代官松と呼ばれていたとのことである。今日のてくてく旅はここまでで終わりにする予定だったが、まだ16時なので明日がらくになると思い吉岡までの約6km、1時間半を歩いてしまうことにした。


 中央公民館の庭から左手に進み、車道を越えて斜め左へ進み街道へともどる。住宅街の緩い坂道を登ったりしながら進んでいく。左手にいぼとり太子堂が現れる。その先で街道は車道と合流して左折、次に国道四号線に合流して右折する。ここからは国道歩きの開始だ。車の騒音のなか、左右に広がる田圃の田植えの様子などを見ながらもくもくとひたすら歩く。


 歩道が煉瓦色に作られた高田橋を通過して暫く進むと、右手の焼き肉屋の前に一里塚が現れる。往時のものは落雷などで破損していたが、国道工事で移設されて再生したと案内板に記されている。


 その横には奥道中歌の碑がある。「国分の町よりここへ七北田よ 富谷茶のんで味は吉岡 寒いとて炊くべきものは三本木 雪の古川荒谷つめたや おもひきり日は高清水宿とりの 杖築館て道急ぐとは あれ宮野沢辺の蛍草むらに 鳴く鈴虫の声は金成 うわさする人にくせ有壁の耳 口のあけたて一関なり 以下青森三厩まで続く」とある。街道の風情が偲ばれる歌だなと復唱してみる。この碑を建ててくれた一里塚会に感謝だ。


 一里塚をカメラに納めて更に暫く進むと左手に旬鮮なごみというレストラン風の店のある交差点が現れる。ここを左折して進むと吉岡宿だ。



(02七北田宿) (04吉岡宿)

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