08:高清水(たかしみず)宿
・火の見櫓の横にある「明治天皇御休息所」碑は本陣跡の碑も兼ねている
・高清水影の沢から照越八ツ沢までの山道は往時の街道の様子を残している道だ

 高清水---高清水影の沢---照越八ツ沢---赤坂---築館 9.6km
 2010年5月17日





 登り坂を暫く進むと左手の小道の角に七清水の一つである本町裏清水の石碑が現れる。高清水宿は古くから高台の地に清水がわいていたことに由来するもので、七清水と呼ばれるように七箇所から水が涌いていたとのことである。その一つがこの本町裏清水だが、枯れてしまったようだ。


 小川沿いのこの小道を更に進んでいくと小山下清水公園があり、そこに小山下清水がある。この清水も枯れている。公園にある案内板の地図によるならば、その先に進むと桂葉清水があると書かれているが、街道から離れてしまうので後で行くことにする。この公園の上には八幡神社と牟良佐喜神社がある。案内板には庚申塔のある牟良佐喜神社を解説していたのでカメラに納めておくことにする。小道を引き返し街道にもどる。


 宿場内を進んでいくと右手に門構えの旧家が現れる。門柱には「まるさん醤油醸造元」と書かれている。その先の左手の火の見櫓横には明治天皇が巡幸のおり休息した旧本陣沼倉屋跡を示す碑がある。石でなく鉄製なので碑とはいわないかも。宿場内を進んでいくが街道筋の面影を残すものは特に目に入らない。やがて新町の交差点にでるので、ここを左折して桂葉清水に向かったが道かわからず、途中で断念。


 街道にもどり宿場の外れ来ると左手に丘の上に善光寺が現れる。奥州藤原氏第二代の基衡が父清衡の菩提を弔う為に、信濃善光寺を模して創建したもので「阿弥陀如来像」が祀られている。また、寺の入口には「北条塔」といわれる板碑や石塔が並んでいる。鎌倉幕府執権北条高時が新田義貞に敗れて自害したのを悼み、北条の縁者が建立したとのことである。


 境内は日陰もありタンポポも咲いているし、ランチタイムにはもってこいの場所なので、ここで昼食をとることにする。シーソーに腰をおろしておにぎりを頬張る。なお、ここ高清水から一ノ関までの奥道中歌があるので紹介しておく。「おもいきり、日は高清水宿とりの 杖築館て道いそぐとは あれ宮野、沢辺のほたる草むらに 鳴くすず虫の声は金成 うわさする人にくせ有り壁に耳 口の開けたて一の関なり」


 善光寺を後にして緩い坂道を下っていき、国道四号線に合流して右折する。やがて右手に目印のローソンが現れる。民家が沢山ないのにコンビニがあるんだと不思議に思いつつそれを越すと右折する道路が現れる。左手にはブリジストンの看板が架かった自動車会社がある。舗装された車道を約1km程進むと右手にプレハブの小屋と二階建ての民家が現れる。その左手の坂道が街道なのだが案内が何も無い。


 坂を登ると平坦な草道となり、暫く進む右手に奥州街道の道標が現れる。ほっとすると同時にもっと手前にこの道標を持ってきてもらいたいものだと不満がでる。途中にも右手に行くと回り道であることを示す道標がたっている。新緑の下を通過する。街道は整備されていて歩きやすい。街道はやがて車道を横断するがその手前の左手に力石や山神碑が現れる。この手前には石母田氏が百姓一揆勢を説得してくい止めたという「三迫百姓一揆旧蹟」があるというのだが見落としてしまった。


 車道を渡った街道は左手の草道を登っていく。やがて田圃の縁でY字路となる。地図にも出てこない道に戸惑うが、方角から北に進む右手の道を選択して進むと奥州街道の道標が現れる。ビンゴだ。車道に合流すると直ぐ先の右手に「明治天皇行幸記念碑」が現れる。


 さてここからは先人たちが「街道は消失しているので蟹沢へ迂回した」といっている難所なわけだが、いろいろ探索してみたら「シングルおやじの気ままな一人旅」の中に「築館育苗センター出入口」の案内板がたっている右手の道が街道であると記されているのを発見したのでこれを頼りにすることにした。「明治天皇行幸記念碑」から100m程先に「育苗センター出入口」が右手に現れるのでここで右の道に入る。途中のY字路は左手へ進んでいく。


 草道だが山越えの街道としてはよく整備されていて歩きやすい。何故か道標はだいぶ奥に入らないと現れないのが玉に傷だ。途中、街道は林の横の道となる。草の上を歩くのでうきうきした気持で実に気持ちよく歩ける。やがて道標が右手に現れ街道の先に国道四号線が見える。おお!照越八ツ沢だ。ついに難所を通過したぞと喜びがあふれる。「歩人かっちゃん」さんに感謝だ!


 田圃の中の農道から国道四号線に出て横断し、右折してトンネルを潜って進む。高速道路に近づいては離れ、坂を登って再び高速道路に近づき下を潜ってラブホテル前を通過し赤坂の下り坂となる。


 だいぶ疲れてきたと実感しながら坂を下り、橋を渡り旧国道を横断した先で左斜めに伸びる小道を登る。ガイドブックではこの道は街道ではないと書かれているが地元の人の話ではこの道が街道だったといっていた。国道四号線に合流して300m位進みシャティイサラダ館の先で左折する。往時の街道はもっと手前の200m位の所で斜め左に進んで行ったが今は道が無くなっている。左折してから暫く進むと小道の十字路が現れる。ここで街道は左手から来て右へと進む小道となっている。


 左手奥は私有地で行き止まりとなっいる。その民家の方の話によると旧国道を造るときに、旧国道の土地と街道だった土地とを交換し、畑にしてしまったので街道は消失してしまったとのことだった(お爺さん、その節はコーヒーごちそうさまでした)。街道だったこの小道を進むと双林寺近くの車道にでる。その先に進むと双林寺の門前となり築館宿に入る。詳細は次回のてくてく旅で述べることにして今回の旅はここまでとする。タクシーでくりこま高原駅に行き、そこから新幹線で帰途につく。



(07荒谷宿) (09築館宿)

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