09:築館(つきだて)宿
・築館の本陣跡とそれを示す石碑や案内板とが分離して存在しているのには驚いた
・迫川では往時の街道だった橋の痕跡を見つけることができなかった

 築館---迫川---宮野 2.6km
 2010年5月17日、10月6日、7日





 5月17日と10月6日、宿場内を探索したわけだが、錯綜としてしまうのでまとめと記載することにする。街道を登って行くと左手に奥州杉薬師如来の看板と登り階段が現れる。ここを登っていくと薬師堂の姥杉、樹齢1200年を越える杉の大木が現れる。落雷や火災にあったため上部は切断され、幹の片側は表皮がむけてしまって痛々しいが枝も繁っていて元気な様子だ。その先の双林寺を尋ねて見ると銅葺き屋根の瑠璃殿や個性的な鐘楼が現れる。天平年間に孝謙天皇の病の治癒を感謝して創建した寺とのことである。


 街道は緩い下り坂となり、坂の終わったあたりの交差点の左手の角が本陣のあったところだ。現在は二階建てのビルが建ちその裏は駐車場となっている。そこが本陣跡であることを示すものはそこにはない。別のところにこの一角が本陣跡であると記されていたのでカメラに納めたわけである。その後、地元の方に聞いたところ、その角は間違いなく本陣跡であり、その後郵便局もあった場所であるとのことだった(ガイドブックの記述と合っている)。


 交差点を左折して進むと右手に図書館の前庭が現れる。右手の桜の木の横に「明治天皇行在所跡」の案内板と石碑があり、案内板こには築館本陣(紀州屋)に明治天皇が巡幸のおり宿泊したことを記念して当主の鈴木六助氏が入口に建てていたものであると記してある。この碑は地元の方に本陣跡を聞いたときに教えてもらった道順どおりに歩いたら(歩いたつもり)ここに出てしまい、思いもよらない発見となったわけである。


 街道にもどって宿場内を進むと右手に蔵づくりの店が現れるが閉まっているようだ。宿場内には街道筋の面影を残しているものはないようだ。その先に進んで見ると左手に門構えの旧家が現れたと思ったら旅館だった。もどって今日の旅籠である「すずはる旅館」に泊まる。旅館の主人から、以前にも街道を歩く人が泊まったこと、街道の整備のために活動していること、最近の街道の様子などの話が聞けたのでよかった。


 10月7日8時10分、宮野宿を目指して出発だ。街道を北に向かって進み小川を越えると築館宿を後にする。築館合同庁舎の前を通過し、その先で左折して小道に入るのが街道だ。街道は民家に突き当たる。付近に迫川を渡る橋があったのだが今は消失している。そばにお婆さんがいたので聞くと「左手の民家の奥あたりに昔は橋があったと聞いている」とのことだった。


 直進は出来ないので右折して国道四号線に出て橋を渡り、橋の袂で左折して川沿いに進む。突如、右手になにやら古い旅館のような廃屋のような建物が現れる。川沿いに100m位進んだところが、往時には橋を渡って来た地点なのだが、川の土手にはこれといった遺跡は残っていない。


 橋から来た街道はここでは右手の道に入る。街道は200m程進んで右折しやがて国道四号線に合流する。暫く進むと国道が右にカーブする所でY字路が現れる。そこにコンビニがあるので、今日の昼飯のおにぎりやお茶、お菓子を買い込む。街道はここを直進して国道と分かれる。小川の橋を渡るとその先は宮野宿だ。築館からはずいぶんと近い宿場だ。



(08高清水宿) (10宮野宿)

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