01:日本橋(にほんばし)
・慶長8年(1603年)に架橋、街道の起点となる
・江戸東京博物館に復元された日本橋がある
・現在の橋は明治44年(1911年)に建造、橋の車道の真ん中に日本国道路元標が埋設されている
・日本橋から京都の三条大橋までは126里、約490kmの道のりである

 日本橋---銀座---新橋---三田---品川 7.8km
 2002年7月6日





 2002年7月6日、晴れ、10時10分、東海道の東の基点、日本橋に立った。東海道ウォーキングを手っとり早いところからと5月3日に神奈川宿から始めたが、やはり日本橋から歩かなければ完全とはいえないと考えなおしてここに立つことに なった。梅雨の中休みとはいえ初夏を過ぎているので暑い。この暑さに耐えて何とか神奈川宿までたどり着きたいが不安が胸をよぎる。


 日本の道路の起点を示す「日本国道路元標」が橋の真ん中に埋め込まれている由緒ある橋なのに、その上を高速道路が日本橋を押しつぶすようにのっていて、威厳も貫祿もないものに私には見えた。高速道路こそ第一だという政治家や役 人の文化意識の低さを物語っていると思えて残念だったが、しかし橋の手前の左手には日本橋の由来を解説したものがあり、ただの橋ではないことが示されていた。橋の中程には東京都のマークを守る狛犬のようなものもあり、それなりに威厳を示すものであった。


 さて、日本橋を背にしていざ京都へと出発だ!南に向かって延びるこの道が京都まで続いているのだ(ただし、この道は国道15号線、またの名を第一京浜国道線、神奈川宿で国道1号線と合流する)。道の左右にはデバートやビルが立ち並ぶが、確かに江戸庶民もこの通を歩いていたのだと思うと胸が高鳴る。大通りの交差点で右手・正面の突き当たりに大きなビルが見える。たんなるビルにしか見えない東京駅の八重洲口側だ。寄り道しないでそのまま前進。高速道路下となっ た京橋を通過して進むと円筒形の三愛ビルが見えてくる。人で賑わう銀座四丁目の交差点だ。賑わいの中、交差点を直進して進んでいく。


 新幹線も走る新橋のガードをくぐってどんどん進むとやがて三田駅の手前で、左手に「江戸開城・西郷南洲・勝海舟会見の地」碑が現れる。慶応四年三月十四日、当時ここに薩摩藩蔵屋敷があり、江戸開城について談判し戊辰の戦火から江戸救うことになった会見を記念してこの碑がたてられたとのことである。さらに進むと右手に高輪大木戸跡の石垣が現れる。海側の石垣だけが残っているが、江戸市中への出入り口として左右に石垣のある大木戸が江戸前期にはあり、旅人を送迎する茶屋が軒を並べて繁盛していた。江戸後期には大木戸自体は廃止されたとのことである。


 梅雨の中休みとはいえ、日差しは夏と同じだ。木陰がどこにも無いのがつらい。ウォーキングにはやはり松並木が欲しいとつぶやきながら、ショーウインドーに映った自分を見る。少し先に進むと赤穂浪士が眠る泉岳寺が右手先に見えるが立ち寄らないで進む。やがて品川駅前を通過して御殿山の高台を右手に見つつ第一京浜と別れてY字路を左手に進む。JRの線路を越える橋の右手に八ツ山橋の碑がある。その先の京浜急行の線路を渡った先が品川宿だ。



(00東海道) (02品川宿)

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