37:赤坂宿(あかさか)
・天保14年の人口1304人、家数349軒、旅籠62軒、本陣3軒
・御油宿と赤坂宿との間はは1.7kmしかなく、東海道の宿駅間では最も短いところである
・赤坂宿は『東海道名所記』によると歓楽街としても有名であり、旅籠には遊女たる飯盛女が多数いた

 赤坂---長沢---本宿町---舞木町---藤川 8.8km
 2003年4月29日、2012年1月7日





 約600mの松並木を抜けるとそこは赤坂宿だ。左手にはここが赤坂宿であることを示す立て札が連子格子の家の前に立っている。3年前には立て札はなかったようだが。しばらく進むと左手に関川神社が現れる。「夏の月、御油より出でて赤坂や」の芭蕉句碑と樹齢800年の楠木の大木がある。さらにその先には本陣跡があるはずなのだがみつからなかった。しかし連子格子の大きな家があった。


 2012年1月7日、本陣跡を探して再び赤坂宿を尋ねた。宿場内を進んでいくと丁字路信号の手前の左手に、門と板塀の本陣跡が現れる。案内板には往時4軒の本陣があり、その内の一つがここ松平家本陣跡であると記されている。以前にはこんな本陣跡の建物は無かったので、その後増設したのだろうと思った。


 本陣跡の前、丁字路の角には再現された高札場と往時の家並みを記した絵図が掲げられている。それによると松平家本陣跡の反対側に2軒の本陣があったようである。(追記完)


 その先、右手には往時の軒行灯を二階につるし街道筋の面影を残している尾崎屋があり、その斜向かいには広重が描いた赤坂宿の絵に登場した蘇鉄を保存している浄泉寺がある。蘇鉄は、元は旅籠清須屋の中庭にあったものだといわれている。


 浄泉寺の先には、当時の面影を残した旅籠大橋屋がいまでも御宿所の提灯を下げて営業している。当日は休業日であった。大橋屋は旧屋号を鯉屋といい、間口9間の大旅籠であったとのことだ。


 ところで広重の赤坂宿の絵は旅籠清須屋を描いたものだが、往時の赤坂宿は御油宿とともに歓楽郷であって、各旅籠には2、3人から7、8人の飯盛女(遊廓がない宿場に許された遊女がわりの女)がいたとのことだ。『東海道名所記』によれば「ようよう赤坂の宿に入りければ、宿ごとに遊女あり、立並びて旅人をとどむ」とある。また、「御油や赤坂吉田がなけりゃ、親に勘当うけやせぬ」とか、「御油や赤坂吉田がなくば、何のよしみで江戸通い」とかの流行り歌を残すほど繁盛していたようである。大橋屋を後にして進むと左手に無料のお休み処が現れる。トイレ休憩をして先に進む。


 その先の右手には当時の陣屋跡(代官所跡)が現れる。左手の民家の横には初々しい菖蒲が咲いていたのでカメラに納める。


 先に進むと見付跡の標示杭が現れる。ここからは赤坂宿を後にすることになる。しばらくは周辺の景色を見ながらもくもくと歩く。国道にでる手前の常夜灯のところに橋があり、その下の小川は狭いが河原があるのでそこで昼飯をとることにする。幅1mチョットの河原で定番のおにぎりとお茶で腹ごしらえをして立ち上がったら、丁度川沿いの道を歩いていた地元のおばあさんが、「この川で、昔はいろいろ魚がとれたが、近頃は捕れなくなってしまった」と声をかけてきた。「いや魚をとっているのではなく、昼飯を食べて休憩しているところなんです」というと、「魚でもとっているのかと思った」とおばあさん。「御油から歩いてきて、今日は岡崎までいくつもりです」というと、「ああ、そうですか」というだけで去ってしまった。予想外のリアクションに「あれれ、興味なしか」とガッカリ。でも、何はともあれ地元の人との会話はうれしかった。


 約2km、国道を歩くと左手に「是より西、本宿村」の掲示板が現れる。その先に立つ冠木門をくぐり国道を進んでいくと、新しそうな道標が立ち「左、東海道」とある。街道は国道一号線と分かれ左に入っていく。


 しばらく進んでいくと左手に法蔵寺山門が現れる。その手前には幼少の家康が手植えしたといわれる御草紙掛の松がある。恐る恐る法蔵寺の山門をくぐっていくと境内には誰もいなかった。新撰組隊長近藤勇の首塚は、左手の奥にあるとの案内があったので坂を登っていくと、墓石群の手前に勇の胸像とともに首塚があった。江戸の板橋で斬首された勇の首は京都で晒されていたが、かつての同志がこれを盗み、江戸へ運ぶ途中徳川家縁のこの寺に埋めたという。その後は無名石であったが、近年になって胸像が立ち名前が明かされた。また、首塚の前には家康の兄弟や、三方ヶ原の戦で死んだ者の墓が並んでいる。


 法蔵寺を後にし、本宿村を進んでいくと左手に蘭方医・宇都野龍せき邸の長屋門が現れる。しばらく進んでいくと国道と合流地点にでる。国道を横断して右側の歩道を歩く。名鉄の赤い電車が右手を走り、左手には国道一号線の車両が走るという中を、旅人は一人てくてくと最も原始的な両足で歩く。天気もよく、気分は上々だ。再び国道と分かれ、しばらく歩き、また国道と合流する。そして次に国道一号線と分かれる地点が来た。その先を左手に進むと藤川宿だ。



(36御油宿) (38藤川宿)

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