19:江尻宿(えじり)
・天保14年の人口6498人、家数1340軒、旅籠50軒、本陣2軒
・清水港は三保の半島に包まれた天然の良港で、物資輸送や軍事の要衝だった
・徳川幕府の軍港でもあり清水船手奉行と軍艦が置かれていた

 江尻---追分---草薙---長沼---府中 10.5km
 2002年11月9日、2011年8月1日





 午前10時、清水駅の駅前ロータリに立つと前方の彼方に雪を冠した富士が見えた。前回までは雪のない富士だったのでいま一つものたりなかったが、やはり冠雪した富士はすばらしいとひとり興奮してカメラに納めた。広重の江尻宿の絵は清水湊を描いているので、それは駅の反対側(東側)であり出口がそちらには無かったと思うのだが・・・・。いずれにしろ駅から離れていると思っていたので海側にはいかなかったのだ。今思うと2?300mなので出口を探して見ておけばよかった。反省!駅前で右折する国道一号線沿いに100mぐらい進んだところに一号線と交差している旧街道がある。前回、足の痛さに耐えつつ清水駅へと左折した街道の反対側にたった。


 晴天の街道を歩き始めたが、前方に続いている道には昔を忍ばせるものは見えない。街道沿いにはビルなどが多い。空襲で町のほとんどが灰になってしまったからだそうである。500m位進んで右折したところが、かつての宿場の中心となっていたところで、中ほどの十字路あたりに本陣や脇本陣があったとのことであるが今は何もない(探してはいないが何も目にはいらなかった)。先に進んで左折すると巴川にかかる稚児橋にでる。橋の袂には河童の像がある。伝説では、慶長12年の橋完成の祝典の時、突然川の中から童子があらわれ橋に上がって何処かに消えたことから童子橋とか稚児橋と呼ばれるようになったとのことである。


 2011年8月1日、本陣跡を探して再び江尻宿を尋ねた。が、まったくわからずに困って銀座通りの和菓子屋に入って本陣跡を尋ねたところ、店のおばあさんが斜向かいのビルPAL CITYが脇本陣だった大ひさし屋の跡だと教えてくれた。また、本陣跡はこの先のおもちゃ富岡屋で聞くといいと教えてくれた。お礼を言ってから、富岡屋に行って聞くと富岡屋の前に江尻宿の案内板がでており、そこに地図つきで本陣跡について解説してあると教えてくれた。また寺尾本陣跡は案内板よりも手前の一心堂の横の駐車場のところだとも教えてくれた。今まで目に着かなかったが確かに案内板があった。ややばつが悪かったがお礼をいってから、本陣跡をついに見つけたぞといううれしい気持ちで案内板をカメラにおさめる。


 寺尾本陣跡の前の歩道にはなぜか鯨の像があったので、鯨つきで本陣跡をカメラにおさめる。なお、案内板によるならば旧大ひさし屋跡は脇本陣ではなく羽根本陣跡のようであり、他にも橋本本陣跡があったことがわかった。案内板サービスがたいへん役に立った。まちづくり推進委員会に感謝だ。(追記完)


 橋を渡って暫く進んで右折するのが旧街道なのであるが、ここを直進して進み、清水次郎長の墓のある梅蔭寺に寄り道することにした。街道一の大親分といわれた東海の有名人に挨拶をしておこうと、遠回りを承知でいくことにした。南岡町までほぼ直進で1.5km歩き、左折して右折すると梅蔭寺にでる。寺の中には次郎長とその一家の大政、小政、石松、仙右エ門や女房のてふ(ちょう)の墓石があった。博打のお守りにする為にと石松の墓石を割って持ち帰るものが後を絶たないと以前新聞で読んだことがあるが、その対策としてか、鉄の柵で墓石が囲まれていた。また侠客としての凄味をきかせた次郎長像は何故か石垣の裏にあった。


 もよりの街道にもどると追分ようかん屋を見られなくなるので、少しずれた大通りをもどることにした。線路の先を左折して赤いのれんの追分ようかん屋を確認。しかし手前の道標はうっかり見過ごしてしまった。そしてその先には都鳥一家の吉兵衛の供養塔がある。石松を殺された恨みをはらす為、次郎長はここで遠州都田の吉兵衛を討ったとのことである。次郎長ものの映画によく出てくる場所がここなのかとカメラに納めた。その先には旧街道を示す道標がある。


 上原の子安地蔵を越えて先に進んで行くと、草薙一里山の付近で草薙一里塚碑があった。ガイドブックにもない、まだ新しいもので何故か隣に大きな狸がたっている。また、草薙神社の大鳥居をこした先だと思うのだが、実物にちかい(?)水の上を進むダルマ大師の像が寺の入り口にあった。手足の無い赤いダルマさんではないので、珍しいな?とダルマ大師の映画のかのシーンを思い出し、暫し感慨にふけってしまった。


 東名高速道の高架下を通過し更に進んでいくと東海道線にぶつかる。そこに旧東海道記念碑があり操車場の建設で旧東海道を分断してしまったことが記されている。手前に地下トンネルがつくられているので、そのトンネル通って東海道線の向こう側にでる。後久橋の先に旧街道を示す道標があった。しかし静岡鉄道の長沼駅の近くにあるはずの一里塚はみつけられなかった。そろそろ昼飯にしょうと休憩場所を探していたら、左手に空き地(建設工事予定地)があったのでそこで昼飯にした。再び歩き出すと静岡鉄道の柚木駅近くで、国道一号線を横断し再び東海道線の左側にゆこうとしたのだが、現在はJR敷地となっており旧街道はなくなっている。で、東海道線を潜る道路を進み、左折して旧街道にもどる。そして三度目の東海道線越えをして国道一号線を横断して進んで行くと、その先は府中宿である。



(18興津宿) (20府中宿)

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