29:見付宿(みつけ)
・天保14年の人口3935人、家数1029軒、旅籠56軒、本陣2軒
・律令政治の時代には遠江国府が置かれ、入江がこのあたりまできており「今之浦」という地名だった
・中泉には家康が使った中泉御殿があったが、後に幕府直轄の代官所となった

 見付---中泉---天竜川渡船場跡---天龍川町---子安町---浜松 16.4km
 2003年1月12日、2012年1月7日





 見付宿への坂道を下った所の右に木戸跡の標識がある。道の反対側には一里塚跡がある。愛宕山の入り口の階段の横なので、昔は木戸と一里塚跡とが接していたようだがどのようになっていたのかと気にかかる。見付宿は、京から東下りの旅人がこの付近まできて、初めて富士を見ることから、富士を見つけるという意味で「見付け」というようになったらしい。


 宿場内を進んでいくと右手に真新しい白壁と瓦づくりの建物、それと「東海道分間延絵図」と宿場案内付きの掲示板がある。見付支店の看板が掛かっているが、どこの支店だったか(JA?)忘れてしまった。その横には東之梅塚というのがあった、が由来は不明。その先の大通りの両側に問屋場跡と本陣跡があるとガイドブックには載っているが確認できなかった。見落としたかな?


 しかしその先の旧見付学校と淡海国玉神社は大きいので見落とはしなかった。旧見付学校は見付のシンボルとなっている建物で、日本最古の現存する木造小学校であるとのことだ。明治8年に2階+2階の楼付きで立てられ、その後に3階部分が増築され5階建てとなったものである。当時としてはずいぶんとハイカラな小学校だったのではないかと思う。今は市の郷土資料館となっている。そういえば、私の通っていた昭和時代の小学校も木造の平屋だったな・・・・・。


 2012年1月7日、本陣跡を探して再び見付宿を尋ねた。宿場内を進んでいくと右手の静岡銀行の所に問屋場跡の標識が現れる。その先に進むと左手の秀英予備校の所に脇本陣跡の標識が現れる。更に進んでいくと交差点の右手、お茶屋・谷口園の所が本陣跡である。なお、通りの反対側にも本陣があったのでここは北本陣と言われていたとのことである。


 通りの反対側の割烹料理菊善の所が南本陣跡である。ちなみに菊善の所には本陣跡の標識の設置はない。いろいろ事情があるとのことだった。旧見付学校の先に進むと、右手に脇本陣大三河屋の門が立っている。その案内板には見付宿の絵図が示されていて、往時の宿場の様子がよくわかる。その隣にはいこい茶屋があり休息を呼びかけられたが時間がないので話を伺うだけで失敬した。(追記完)


 さて旧見付学校を跡にして街道にもどって進もうとすると、すぐ右手に大判焼きの看板が掛かった谷口屋があった。通りすぎたが、昼飯を食べられそうな店がないのでここで食べられないかのぞいてみた。軽食があったので、早速焼きそばを食べ、お茶を飲み、ついでにお汁粉も食べてしまった。ガイドブックには脇本陣や南本陣が道路の反対側にあると書いてあるが、先を急ぐのでパスすることにした。街道である加茂川通りを進み、300m先の交差点で左折して大通りを南へと進む。左折しないで直進すると姫街道という浜名湖迂回の街道となる。緩い坂道を登り岩田郵便局前を通過して行くとやがて左手に府八幡宮の大きな木々が見える。商店街に入るとジュビロ磐田の選手たちの写真入り敷石があり、熱烈応援のムートが漂っていた。


 JRの磐田駅前よりも手前で右折するのだが、この箇所を間違えないように探しながら進むと、化粧品店サニーベールのところがそれらしいので右折して進んでみた。旧街道を示す道標がここにあってもいいはずなのにと、不満が募る。緩い下り坂と登り坂を大分過ぎたころ、右手に宮之一色一里塚跡が現れる。午後3時過ぎなのに大分日が傾いてきているので気があせるし、足も痛くなってきた。


 やがて天竜川に突き当たる手前の道で右折し、1km先にある天竜川渡船場跡へといってみる。途中で天竜川橋にいく道を越し、足の痛さを堪えて渡船場跡にたどり着く。広重の見付宿の絵はこの天竜川の渡船の様子を描いているのだが、河原まで寄り道する気力がなく、土手からの風景でガマンした。天竜川を越える橋は川下の古い天竜川橋を歩くことにした。路肩のような歩道を対面通行になるように右側を歩いて進んだ。夕日のような日差しが川面に映ってきれいだが車を警戒しつつ歩くので見とれている訳にはいかない。


 橋を渡り、土手沿いに左折して進むと舟橋跡と天竜川木橋跡の標柱が立っている。その先で右手に折れて土手を下り、六所神社の前を通過して進む。しばらく進むと黒板塀の大きな屋敷が現れる。金原明善の生家だ。明治7年に天竜川堤防会社を設立して治水事業を生業とし、天竜川の堤防工事で功績を残した人とのことだ。生家の向かいには記念館がある。


 ここまで来た時、午後5時前、ついに太陽が沈んでしまった。浜松まで残すところあと5km、急いで歩くが、足も限界にきており、痛みが辛くなってきた。日も落ち風が冷たくなってきた。ひたすら黙々と歩いた。途中右手に浜松アリーナの建物があったが、薄暗くなり、ただ大きな建物が見えただけだった。足がますます痛くなり、ひたすら耐えて歩くことになり、子安神社も馬込橋もカメラに納めずに歩き続けることになった。浜松に近づくと高いタワービルが遠くからも見える。そこが駅だと思って馬込橋の500m先から左折して近づくとそこは駅ではなかった。駅はそこよりさらに先にあった。18時10分、浜松駅到着。夜の浜松駅をカメラ納めて駅ビルの食堂街へ登る。浜松なので鰻重を注文したが、鰻がイマイチ貧弱だった。わが家でときおり食べる鰻の方がボリュームがあるな?などと思いつつ生ビール飲む。うまい!! ほろ酔い気分で帰りの新幹線に乗り込んだ。



(28袋井宿) (30浜松宿)

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